「形式論理学と超越論的論理学・付論2」第1節~第3節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)には本論の後に付論1.2.3がついていて、今日から付論2に入ります。今回はこの付論2の中の第1節から第3節までを読み解いていこうと思います。最初に能動的な判断作用について書かれていました。「能動的な判断作用は《思索の諸対象》を、すなわち範疇的な形成物を産出する働きである。~略~能動的な判断作用が唯一の形式ではないが、しかしそれが判断作用本来の形式である。能動的な判断作用こそが、推定された範疇的な対象性そのものが実際に本来産出される場合の、換言すれば《判断》が根元的な自己所与性になる場合の形式である。」志向性の一般的な理論から次のような論考がありました。「同一の対象が非常に多様な意識の仕方(知覚、想起、空虚な意識などの主要な遡形式)でアプリオリに意識されうる。それらの仕方の中でも、そのつど《経験する》仕方、すなわち根元的な意識の仕方に優利な特性があるので、これ以外の志向的な諸変様としての意識の仕方はどれも、経験する意識の仕方と関連している。」また過去把持的な変様に関する論考もありました。「内在的な現在性という根元様態で現われる各体験(そのような仕方で発生するものとしてそれ自体意識されている)には不変で必然性で《過去把持的》な意識が根源的な変様として接続しており、その変様によって《現在の所与》という根元様態が連続する総合の中で《たった今》存在したものという変様された形態へ移行する。今現在のものとして変様されたこの意識は、同じ法則性によって、新しい変様(変様の変様)のための相対的な根元変様として機能し、しかもさらに連続して機能する。」統覚による着想として思いついたものとして「記号と表現の場合のように、連想を喚起する知覚や、喚起もしくはそれに似たことによって統覚的に生じる事柄が統一されてテーマになり、さらにその結果、二面的ー統一的な対象構成がテーマを示す的確な意味で成立するーそこではその後、知覚によって喚起された事柄だけでは刺激せず、それはテーマの対象にならない。むしろ今後は、喚起された事柄が構成要素の性格をもつようになる。」とありました。今回はここまでにします。

関連する投稿

Comments are closed.