「形式論理学と超越論的論理学・付論1」第1節~第5節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の本論を読み終えました。本書は本論の後に付論1.2.3がついていて、今回はこの付論1の中の第1節から第5節までを読み解いていこうと思います。本書の結語として「われわれが本書で示そうとしたのは、伝統的な論理学から超越論的な論理学への道程であったー超越論的論理学は第二の論理学ではなく、現象学的な方法の中で成立する根元的で具体的な論理学にすぎない。」とありました。付論1では「統語法の諸形式と統語法の各素材」という題名がついていて「本論でたびたび利用した統語論の各形式と各素材との違いを、さらに詳しく解説し、そしてそれらと本質的に関連する別の各相違によって補足したい。」という意図があることが分かりました。まず簡単なところから複雑なところへ進む定言形式の文章が登場しています。それに関して気に留まった箇所を引用します。「文全体はどのようにして対象との関係を成立させているのか〉という疑問のもとでーわれわれがさらに詳しく観察するのはー何よりもまず〈われわれは文についてはいつも、各文が対象と関係する諸部分を見つけねばならない〉ということである。このことはどの文肢にも該当し、それらが区分されている以上、それらの分肢から最終的な、あるいはそれ自体最初の諸文肢にまで該当する。」また別の文章に「純粋な素材は最後に事象との関係を段階的な形式化によって、各段階の形成物が諸分肢の中でいつでも再び相関的な素材と形式を示すのである。」とありました。低次と高次の諸形式については「各形式は低次と高次の諸形式に区別される。すなわち最低の諸分肢に属する諸形式と、すでに形式化されている諸分肢自身を含めて、いっそう高い段階の具体相にして、いっそう複雑な諸分肢を形成したり、あるいは完全に具体的な統一体に、独立した文にする諸形式とに区別される。」とありました。本論に付随し、またそこから分岐した論考がここには収められていて、付論と言えどもなかなかの重厚な論理展開が成されていると思いました。

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