「客観的論理学と理性の現象学」第107節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第7章「客観的論理学と理性の現象学」の中で、今回は第107節を読み解いていきます。この第107節をもって本論は終了します。まず外的な感覚的経験の明証性という小節で、気になった箇所を引用いたします。「必要なのは、個々のエゴの生活と超越論的な共同体の生活を終始一貫して統合する世界経験と、それに伴う普遍的様態の志向的究明であり、次いでさらに世界経験の構成的成立についての、その様態を含めた究明である。」次の小節では内的経験の明証性について論考がありました。「最初の《明証》つまり所与の根元的な出現と、例えば持続する間は同一性を保って内在的に把持されていた感覚所与の根元的な持続には、たしかに言わば明白な抹殺不可能性があるーこの持続の間はーしかし持続が連続して同一視されている間に生じる根元的な統一性はまだ《対象》ではなく、まず最初は(この場合は内在的な)時間性の中での存在物として、すなわち過去の主観的な諸様態がどのように変動しようと、同じ事物として明証的に再認識される物事として存在している。」最後に素材的な所与と志向的な諸機能についての考察です。「ごく一般的な例をあげれば、どの対象も構成された事物として、内在的な対象と本質的に関係しているので、各対象性の明証は、それらのために機能している事物自身はその特殊な志向的性格をいつも保持しており、それによって最も重要な各種の相違点が関連しあうが、それは、構成された諸対象が自我にとって可能な能動的な寄与への《刺激》として《情動的》に機能しうるように関連している。」本論の引用は以上になります。本書で私は掲載された文章に頼ってばかりでしたが、読み取りが難しい局面があって、簡単にまとめられない語彙の構築に悩まされました。通常使わない明証性やら志向性、超越論的な事柄、アプリオリという語彙をそのつど調べながら読み進めてきました。本書には本論の後に付論1.2.3がかなりのボリュームでついていて、これを読み取らないと一冊が終了したことにはなりません。次は付論を読んでいこうと思います。

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