「超越論的現象学と志向的心理学」第100節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第6章「超越論的現象学と志向的心理学。超越論的心理学主義の問題」に入っていますが、題名が長いので表示を多少省略をさせていただきました。今回は第100節を読み解いていきます。この節では歴史に残る哲学者たちが登場していますが、大きく取り上げられていたのはヒュームとカントでした。超越論的哲学の発展の中でヒュームの偉大さがあったようです。「彼こそが超越論的哲学の普遍的な具体的問題を把握した最初の人であり、初めて彼が純粋に自我論的な内面性を具象化して、彼の見解ではすべての客観的事物が主観的に発生したことが意識され、しかも最善の場合には経験されて、まさにこの客観的事物が自己発生の形成物として究明され、この最終的な根源から、われわれにとって存在する諸事物すべての正当な存在意味が理解可能にされるのである。」一方、カントは「彼は形式論理学(推論式論)すなわち彼の言う《純粋な一般》論理学を、あのイギリス経験論のように、無価値なスコラ哲学の遺物とは見ておらず、さらにあの経験論のように(カントが形式論理学について認めるように)論理学のイデア性についての心理学主義的な曲解によって、論理学からその固有の真の意味を奪っている。しかし彼は〈形式論理学には超越論的な諸疑問を提起せず、そのような疑問を超越させる特殊なアプリオリがある〉としている。」とありました。またカントの不十分な部分の指摘もありました。「カント自身はアリストテレス的な伝統の核心的な諸部分を顧慮して、論理学のアプリオリな性格を、すなわち論理学が経験心理学的な一切の事柄から純粋なことや、したがって論理学を経験論と関係づけるのは倒錯であることも明確に認識していたのに、そのカントでさえ論理学のイデア性本来の意味を把握していなかったのである。」さらに「広狭両義の客観的論理学がイデア的な各対象性の分野について提起せざるをえない超越論的な問題は、実在性についての諸科学の超越論的な諸問題と、すなわち諸実在の各領域についての、したがって特にヒュームとカントが論考した自然についての超越論的な諸問題と並行している。」とありました。「いずれにせよ確実だと思えるのは、カントと新カント派の彼の後継者たちの超越論的哲学の歴史的な諸形態が、真の超越論的哲学の重要な前段階を示していながら、イデア的な諸世界の、特に論理学的な諸世界についての超越論的な考察への移行を促すのに適していなかったことである。」今回はここまでにしますが、第6章「超越論的現象学と志向的心理学。超越論的心理学主義の問題」は以上で終了です。

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