「理想化する諸前提と構成的批判」第73節~第74節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第3章「論理学が用いる理想化する諸前提と、それら諸前提についての構成的批判」に今回から入りますが、題名が長いので、題名表示を多少省略をさせていただきました。今回は第73節から第74節を読み解いていこうと思います。最初にこんな問いかけがありました。「今回必要なことは、分析的論理学に対する批判であり、この批判を通してわれわれ自身が、一連の理想化する諸前提をはっきり意識〔問題視〕すべきである。その諸前提とは〈分析的論理学が、主題化された方法によってではなく、やはりまだ素朴に行使されていた方法によって、あたかも当然のことのように用いており、そしてわれわれがそのことに気づかずに継承してきた諸前提〉のことである。」第73節では数学的解析学が用いる理想化する諸前提が出てきます。「明らかに論理学はその形式的な一般性と法則性とによって、あらゆる種類と段階の諸判断すなわち範疇的形成物を前提しており、そしてそれら諸判断の自体存在は同一の状態で確定している。論理学は、どの思惟者どの思惟共同体に対しても自明な次のことを前提している。すなわち〈私が言ったことは私が言ったのであり、私の思惟の顕在性がいかに中断しようと、私は自分の判断の思念内容の、すなわち私の確信の同一性をつねに確信しうるのであり、しかもその同一性はいつでも自由に利用しうる持続的な所有物であることを、洞察し確信しうること〉を前提している。」また「〈形式的には一般に、あらゆる具体的に論理的な、すなわち学問的な思惟作用に含まれていて、広く一般的に理解されている方法、すなわち同一の意味を顕在化する方法〉は論理学の基本概念を形成する方法の主要部分である。」第74節では「等々」とは何かを考察する部分が出てきます。「ここでは、論理学者たちがこれまでまだ一度も取り上げなかった《等々》という基本形式を、すなわち《何度でも反復しうること》を主観的な相関項にもつ反復の《無限性》の基本形式だけでも思い起こしたい。」とあって、こうした私たちが何気なく使っている語彙のことも論理学の中で明確に論考していくのかと思いました。

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