「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第61節~第64節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第61節から第64節までのまとめを行います。この節では非リアルな対象性に立ち帰ることから論考が始まっていました。「経験は、対象としての意味をもつ諸対象がわれわれに対してもつ存在の最初の設定である。このことは非リアルな諸対象にとっても明らかに完全に妥当し、それらが種概念的なものや判断のイデア性や、あるいは交響曲などのイデア性の性格をもっていても、同様である。したがって外的経験も含めてどの場合にも次のことが当てはまる。すなわち明証的な自己能与は、経験される対象の構成すなわち自己形成の過程として特徴づけられるーもちろん最初はたんに限定された構成にすぎない。なぜなら対象は顕在的な経験の多様性をも越える現存在を必要とし、それ自身の存在意味のその契機も、それ自身の構成的な解明を求めており、それが可能になるのは〈経験自身に内包されていて、そのつど開示される志向性〉によってである。」次に超越という語彙が出てくるところを引用いたします。「さまざまな対象性についての意識に対するあらゆる種類の対象性の《超越》である(そしてそれに応じて変化した仕方で、すなわち意識主観の極として理解された、そのつどの意識ー自我に適合した仕方で)。しかしそれにもかかわらずわれわれが内在的な対象と超越的な対象を区別するとすれば、それはこの最広義の超越概念の内部での区別を意味するにすぎない。」次に論理学的形成物の産出についての論考を引用します。「われわれが問題にしているのは〈リアルな心的諸過程の中に与えられている非リアルな諸対象〉であり、われわれはこれらの対象を、決して心的な諸実在についてではなく、それらイデア的諸対象についての実用的なテーマ設定の中で検討し、行為によって然るべく形成しているのである。」また幾度となく出てくる明証性について「ごく一般的に言えば、明証性とは〈場合によっては非常に複雑な段階系列として構築されて、それ自身の志向的な対象性を本来の《そのもの自身》の様態で呈示する意識の仕方〉に他ならない。」とありました。今回はここまでにします。

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