「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第59節~第60節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第59節から第60節までのまとめを行います。第59節では明証についての考察がありました。「明証とは、〔対象〕自身を与える志向的能作である。さらに正確に言えば明証とは《志向性》の、すなわち《何かについての意識》の卓越した一般的形態であり、明証的に意識された対象的なものはこの形態の中で、それ自身が把握されたもの、それ自身が見られたもの、つまり〔主観の側では〕意識的に対象自身の許に存在する、という仕方で意識されているのである。あるいは明証とは本源的な意識のことだ、と言ってもよい。」第60節では明証性ならびに対象性についての考察がありました。まず明証性を中心に論考している箇所を引用いたします。「明証性は意識生活全体に関わる総合的ー普遍的な志向性の在り方であり、これによって意識生活は一つの普遍的な目的論的構造を具備し、《理性》を重視することによって、正当性を証明し(それと同時にさらに正当性を習慣的に獲得し)そして非正当性を破棄する(そうすることでそれらの不正を獲得した所有物と認めるのを止める)一貫した傾向をもつのである。」次に対象性と明証性に関与した論考を引用いたします。「対象性の範疇と明証性の範疇は相関関係である。志向的に総合され一貫して保持される志向的統一体としての、しかも究極的には可能な《経験》の統一体としてのーさまざまな対象性の各基本的種類には《経験》の、つまり明証性の、基本的種類が属しており、さらに対象自身の完全性が向上した場合には、志向的に示される明証性のスタイルの基本的種類も属することになる。」そもそも論理学とは何かを論じる中に、さまざまな要素が含まれていて、それらをひとつずつ論じて、全体として論理学の体系を作ろうとする本書の意図は分かっているつもりでも、詳細な部分で自分の思考がついていけなくなることがあります。今日はここまでにしたいと思います。

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