「絵画、彫刻の自律性の追究」について

「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の第一部「19世紀における『画家=彫刻家』と『芸術家=職人』の登場」の第1章「画家と彫刻家」の「3 絵画、彫刻の自律性の追究」についてのまとめを行います。ここで3人の芸術家が登場いたします。まず画家のエドガー・ドガです。「実はドガはミケランジェロと同じように、彫刻がより多くの労苦を必要とするゆえに、彫刻の方が『高貴』であると思っていたかもしれなかったし、また『彫刻が絵画を照らす灯火』であると思っていたかもしれなかった。彫刻は彼の絵画にとって重要な支柱であり、また彼において彫刻と絵画は、まさしく『連携』するべきと考えられていたのである。」ドガはバレリーナを描いた代表作で画家として盤石な芸術家になりましたが、またドガは優れた彫塑家でもあり、ドガの抜群の素描力はそんなところにあるのではないかと思います。次は彫刻家ライナー・マリア・リルケです。「正面性を排除し、彫刻を『物』として、『オブジェ』として扱うことによってリルケがここで行っていることは、その芸術としての価値は、彫刻が表現する物語的意味ではなく、その空間芸術としての価値のみに基づくという、自律性の主張であった。」現代まで続く彫刻観がここにあります。最後に本書の主役となるポール・ゴーギャンが出てきます。「彼は実際、絵画の他、陶器、木彫、版画を試みたが、それらを自らの絵画における追究のために行ったのではなかった。ここに、その絵画のために彫刻を行ったドガとの根本的な違いがある。彼はこれらの表現媒体に、各々の特性を見いだし、それを生かした表現を模索した。」本書ではゴーギャンの友人に宛てた手紙を掲載し、次のように述べています。「『自然を見て行う』のは易しいが、『形を見つけ出そうとするのはとても難しい』という言葉によって、彫刻が自然の模倣ではなく、新しい形の創造であることが示され、自然主義ではなく、すなわち視覚的イリュージョニスムを排して不可視の世界を暗示する芸術が説かれている。~略~ゴーギャンの彫刻概念とはすなわち、絵画の平面性を適用しながら三次元芸術を創造することであり、ギリシャ的イリュージョニスムの伝統から脱した彫刻の創造であった。ゴーギャンは、表面上での表現を前提とし、中核から発する力によって支えられたものではない新しい彫刻を主張した。それはまさしく『中空の彫刻』であった。」本書のタイトルとなる言葉が登場してきました。今回はここまでにします。

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