「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」第57節~第58節について
2021年 1月 20日 水曜日
昨日に続き、「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第1章「論理学の心理学主義と論理学の超越論的基礎づけ」の中の第57節から第58節までのまとめを行います。この節では論理学的な心理学主義を扱っています。「根源的に産出する思惟作用について当てはまる事柄は、思惟作用の二次的な諸様相についても、例えば混乱した思いつきなどの《判明でない》思念についても当てはまる(したがってそれらと並行する理性的な意識や《心情》の諸様相にも、さらにこれらに対応する付随的な二次的諸様相にも当てはまる)。これらの混乱した思想は、混乱した思惟意識自身の中で生じ、しかも外的なものとしてではない。そうだとすれば論理学においてわれわれは、いったいどのようにして《心的諸現象》の、すなわち《内的経験の諸現象》の分野を乗り越えたことになるのであろう?」との問いかけに、論理的ー心理的な領野に非実在的に現われるものとしての論理学的形成物のイデア性を論じた小節にこんな一文がありました。「反復される同じ諸作用や似た諸作用の中で形成される複数の判断や推論などは、ただたんに同じだとか似ているというだけではなく、数的にまったく同一の判断や推論などであることは、根源的に明証であると。」さらに錯覚の可能性についても触れた箇所がありました。「《いま私はそれが思い違いだったことを確認する》という根源的な仕方で、錯覚が自覚され《解消されること》自身が一種の明証である。すなわち経験されていた事柄の非存在とか(最前は変更されなかった)経験の明証を《否定すること》についての明証である。」本書は自分がここぞと思う箇所にラインを引いていますが、そこだけを引用すると前後の文章の意味を掬い取れなくなるため、引用した箇所が意味不明で難解になる可能性があります。私の読み取りが浅くて、重要ポイントではないところに気が留まる可能性もあり、NOTE(ブログ)を読んでいただいている方々にご迷惑をおかけしていると思っています。本書に関わる文章は、私自身のメモであるため、読み飛ばしていただければ幸いです。