建築家等からの意見・感想③

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の第2部では、藤森照信氏の著作や建築を巡って、著者が他の建築家からの質問に答える形式を取っています。今回は3人の建築家が登場します。まず西沢立衛氏の「インターナショナル・スタイルでいうと、どの地域、どの文化であっても成り立つある普遍的なスタイルの確立という方向性を感じますが、その場合、敷地条件のちがいや建物毎のプログラムのちがい、もしくは気候風土・文化のちがいなど、そういったプロジェクトごとのさまざまな個性差というものはどのように考慮され、建築に統合されていくのでしょうか。」という質問です。それに対して「原理的に差はないのに、現実の建物の姿形が変ってくるのはなぜだろう。おそらく、普遍的なスタイルという数式に代入する数値の差にちがいない。建物という数式の各項はあまりに多く、数も大小さまざまだから、統合されて出された答は多様に見えるが、少し距離を置いて眺め、統合を支配している数式に着目すれば、同じ式であることが透けて見えてくる。」という著者からの回答・解釈がありました。次に林昌二氏。「建築の歴史について、それは人類の歴史と同じく、始点の原始時代と終点の現代には多様性がなく地上のどこも同じ単純さ単調さを見せ、中間(だけ)が多様に膨らんでいる、それは紙に包んで捻ったアメ玉みたいだ、と卓見を述べられ、これをしゃぶらずに死ぬのは惜しい、とされました。」との感想にも「これから後にアメ玉をしゃぶる人に残されているのは何だろう。まず第一は勇気をふるって漸近線に投ずることだ。21世紀はまだ何十年も残されているから、原点0に一致しなくとも、間近にまざまざと見ることはできるかもしれない。」と著者はユーモアをもって、しかも真摯に返されていました。最後に原広司氏。「単純に言えば、建築的な意味において、現代をどのような課題を担う時代であると考えるか、がその質問の要旨です。」それに対して「現代は、建築的な意味において、時代的課題を喪った時代だと思う。20世紀建築の原点0を求める道は、21世紀にも進むだろうが、時代を引っ張り、いやおうなしに他を巻きこむような強制力はもはやない。」と著者は言い切っており、また「人類の長い長い建築の歴史は20世紀で完結したかもしれない、という疑いを『人類と建築の歴史』を書いた時に否定できなかった。先に述べた原点0を求める漸近線状態に入っているのかもしれない。未来が漸近線的完成過程とするなら、その状態に身をまかすのも一つだと思う。」と意見を述べています。今回はここまでにします。

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