建築家等からの意見・感想①

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の第2部には、著者藤森照信氏の著作や建築を巡って、他の建築家や風俗史家による意見や感想が掲載されていました。今回は5氏を取り上げます。まず建築家安藤忠雄氏の質問で「ご自身の建築は歴史の〈外〉にあると思われますか、それとも〈内〉にあると思われますか?」という問いかけに、「当然、現代建築史の〈内〉に自分はいて、少し向きのちがった設計をしている、との自覚をずっと持ってきた。でも、それはそう思いこんでるだけのことかもしれないと、《高過庵》(2004)を作ってから疑いはじめている。」と藤森氏は答えています。次に建築家石山修武氏の感想です。「安藤忠雄と双璧の、彼は眼玉の思索家である。双方共に日本独特な知識人の欠点、病理から自由であった。完全にではないけれど、少なく共自由であるかの如く振る舞ってみせた。共に自分の眼で視たものだけを頼りに思考した。それが最大の歴史的価値だろう。」3人目は建築家伊藤豊雄氏の感想です。「藤森さんの建築は近代主義建築の最も根源的な問題を衝いています。それは氏の建築がいかにも趣味的に見えながら、近代主義建築の芸術論と社会主義的改革を一致させようと試みた矛盾に対する批評たり得ているからです。」4人目は風俗史家井上章一氏の感想です。「歴史家としての藤森さんは、彼ら西洋建築の導入者を高く評価してこられました。在来の規範を解体する、その下地を作った建築家たちを、うたいあげてこられた。そして、今は、ばらばらにされた在来工法の断片を、建築家として、自由に組み立てておられます。」最後に国際日本学部で教壇に立つ森川嘉一郎氏が次のような問いかけをしています。「『和風』や『日本様式』の趣味は、今後どうような力学で決定され、どのようなスタイルになっていくのでしょうか。」それに対して「日光東照宮で作るか桂離宮で作るか、の問題は日本の建築界にはありました。でも、日光で売るか桂で売るかの問題は、建築家たちは考えてこなかった。建築家をのぞいた意味でのデザイナーのテーマだった。」と藤森氏は答えています。今回はここまでにします。

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