「21世紀建築」について

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「魅惑の原始住居」と「21世紀建築」についてのまとめを行ないます。「原始的な住宅は大きく二つに分けられて、一つは縄文住居みたいな大屋根のワンルーム、ロングハウスといいます。もう一つは分棟する。なぜ分棟するかは分からないんですが、例えばアフリカの原住民や暑い乾燥地帯の人たち、それとノルウェーやフィンランドの古い家も一つの敷地の中に小さいのがいっぱいある。だから、気候がきついところは分棟とも言えるんです。」ひと頃前の幾何的な近代建築から現代に至る建築史の中で、最近は自然や風土を建築に取り入れている例が増えてきたことを私も感じます。「21世紀の建築の大きなテーマが、歴史と自然であることはまちがいないんですよ。20世紀建築は、その二つを否定したわけではないけれど、思考の外に置いた。だから、新しい問題として考えないといけない。自然というものを考えていくと、どこかの時点で人間の原始性や社会の原始性が出てくるはずなんです。~略~自然状態の人間、自然状態の社会は、20世紀建築が見落としてきた。建築の外部である自然と歴史の問題は、これからちゃんと考えていかないといけない。」現代という時代を考えると、建築は100年以上遅れていると著者は捉えているようです。それは現代も建築の重要な素材である鉄とガラスとコンクリートは18世紀後半の産業革命で出てきており、他の分野から見れば話にならないほど建築は遅れているということになるわけです。21世紀の建築は個人の時代とも著者は言っています。「最終的に建築家は客観的に論理的に理詰めで建築を作ることはできないし、建築の技術、表現は建築家に託すしかないわけです。」さらに個性が強調される現代の建築。私たちのアートの世界でも、縄文を初め古代世界に自然との関わりや人間の生命感を求めていったように、建築も自然や歴史を考えながら人間の住処を考えていく動きに私も興味が湧きます。そうした中で日本が古来からやってきた数奇屋を見直す動きもあるようです。「数奇屋というのは時代を超えてしまったんです。様式の盛衰にのらなかった。1920年代の初期モダニズムも日本の数奇屋と同じようになるかもしれない。」今日はここまでにします。

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