「素人っぽさ」について

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「白井晟一の素人性と縄文的なるもの」のまとめを行います。本書はこの単元から著者がインタビューに答える形式になり、会話の気楽さがあって楽しい内容になっていました。「(白井晟一の作った)《歓帰荘》が縄文的だという証拠はいくつかあって、よっぽどやりたかったにちがいないんだけれど、一種の竪穴式住居なんです。一階でやるとたんなる湿気の多い部屋になってしまうので、わざわざ二階に上げて、二階の入口の踏込をさらに少し高くして、そこから沈んで入る。天井をものすごく低くおさえていますし、この暖炉の異様な大きさとかね。茅葺ですし。~略~素人性というのは結局何かと言うとね、建築なら造形とかディテールとかプランとか、それをたどっていっても誰か建築家の流れに入らない、プロの人たちはそれを素人だと思う。白井さんもそうです。~略~素人そのものの魅力というのは結局どういうことかと言うと、最初からプロという人は絶対にいない。みんな子供からはじまる。それが、建築学科に入ってから、プランニングと全体の造形、事務所ではディテールというような、教育で『正統な建築』を教えられる。子供のとき図画工作をやって粘土で遊んだりいろいろ作ったでしょ。ああいうのはみんな素人なんです。だから実は『素人っぽさ』ってのは最初は誰の中にもあって、それを克服すべくトレーニングされるんだけれど、大人になってからあらためてその『素人っぽさ』を見たときに、建築家であれ、誰でも懐かしさを感じる。」私は世間で認められている建築家の中にも素人っぽさを持ち込んだ人がいたことが、ちょっと驚きでしたが、アートの世界ではそれは普通のことで、美術の専門教育に弊害があると言っている人もいるくらいで、素人っぽさが受けているアーティストは大勢います。文中に以前映画で観た「シュヴァルの理想宮」のことが出てきて、建築の素人っぽさとはそういうことかと納得してしまいました。「素人か玄人かと言えば、本当にいろいろ考えさせられたのは『フンデルトワッサー問題』です。ウィーンに行くと、名だたる建築の名作には目もくれず、フンデルトワッサーの建築を見てる人のほうが多い。彼は自分で建物全体を作ったことはなくて、全部既存の建築にベタベタやって、たいしたことをしているわけじゃないにもかかわらず、みんなが引かれるという…。俺もフンデルトワッサーで行こうかなと思ったぐらいですもん(笑)。」

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