「ル・コルビュジエ」について

「建築とは何か 藤森照信の言葉」(藤森照信他著者多数 エクスナレッジ)の「20世紀のパルテノン神殿」と「20世紀建築の本流に背を向けたル・コルビュジエの謎」についてのまとめを行います。章の最初にル・コルビュジエが設計した「ロンシャンの教会」が登場します。私自身はこの「ロンシャンの教会」に行ったことがなく、写真でしか知らないため、著者が訪ねた時の感想によって建築物の内外を想像するしかないのですが、この建築物によって20世紀のモダニズム建築と一線を引いたル・コルビュジエの謎にも触れていました。「(「ロンシャンの教会」を通して)後期のル・コルビュジエが大地に還って行った証拠にして成果にちがいないが、20世紀ならではのやり方で大地に還ったことも忘れてはならない。~略~丘の上に青空高く掲げられた大地の一片ーギリシャのパルテノンの光景を思い出さずにはおけない。」次に20世紀の建築事情を書いた部分を引用します。「1920年代に芽を吹いた初期モダニズムは、ピューリズムにせよバウハウスにせよ、幾何学的造型を追いかけ、20世紀という科学の時代、技術の時代にふさわしい抽象性を建築においても獲得しようとした。」ル・コルビュジエはこうした抽象性の追求に限界を感じたのではないかと著者は洞察をしています。ル・コルビュジエが革新的な建築家としてデビューした時は、バウハウスと同じ純化した箱型デザインを行っていましたが、その後作風を一転させたのは自分本来の道を模索した結果ではないのか、彼に建築を目覚めさせたパルテノン神殿に立ち戻ろう、その結果として「ロンシャンの教会」が生まれたと言ってもいいと思います。「20世紀はたしかに科学の時代、インターナショナルな時代かもしれないが、しかし人間は特定の大地に生れ、固有の文化にはぐくまれて育つしかない。気づいた時にはそのように自分の内側ができてしまっている。時代は抽象的でインターナショナルだが、人間は個別の存在でしかない。」21世紀になった現在もさまざまな景観を持つ建築物が建ち始めています。日本にも日本的な特徴を全面に出そうとする動きがあるようで、まるで現代彫刻と思えるような建築物も存在しています。

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