「Ⅱ 庭園とランドスケープについて」のまとめ
2020年 10月 15日 木曜日
「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)の「Ⅱ 庭園とランドスケープについて」のまとめを行います。ここではノグチの代表作品である4つの庭園が登場します。それぞれの庭園に関する文章からひとつずつ引用して、ノグチの庭園に対する考え方を示したいと思います。「ぼくが力をつくしたのは、日本人を通して歴史の黎明からぼくらにまで受け継がれてきたこの石の儀式をぼくらの近代という時代とその必要性につなぐ道を見つけることだった。」(パリ・ユネスコ庭園)。「上から見おろすと、この庭はそれをとりまく花崗岩の巨大な枠のなかに収められている。ドラマは静寂のうちに情け容赦なく演じられる。~略~太陽、立方体、ピラミッドはおたがいどうし、そして庭全体の地形と関係しあわなければならなかった。」(イェール大学図書館内庭)。「岩たちは大地の一部であるかわりに力を爆発させ、庭から浮きあがっているように見える(少なくともそれが意図だった)。庭そのものは造形されている。それは人間の手でつくられ、したがってーこれは彫刻だ。同心円状に敷かれた舗石のパターンは日本庭園の熊手に引かれた筋に似ていると言われるかもしれないが、それはむしろ様式化された海の波という中国の起源にまでさかのぼる。」(チェース・マンハッタン銀行)。「デザインの基本となるのは、この場所、大地とその上の空の神聖性に対するぼくの敬意の念である。ぼくはこの場所の賛歌を立ち昇らせたかった。大地そのものが媒体となるはずだ。敷地に石で建造された五枚の曲線を描く擁壁が、この大地をいくつかの大きな弧のなかにすっぽりと入れる。擁壁は、平らな歩行可能のエリアが以前はまったく存在しなかった場所に、そのようなエリアをつくるための装置である。」(イスラエル・ローズ彫刻庭園)。ノグチにとって単体の彫刻作品より、場の空間を創出させる庭園の造形の方がしっくりきているように思えます。それは伝統的な日本庭園ではないにしても新しい空間造形のカタチだろうと思います。