「イサム・ノグチ エッセイ」を読み始める

「イサム・ノグチ エッセイ」(イサム・ノグチ著 北代美和子訳 みすず書房)を読み始めました。先日まで読んでいた「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)では、ノグチの彫刻やそれを取り巻く空間の解釈に、私自身が自作を振り返って改めて彫刻の存在意義を確認することをしていました。ノグチの主張が私の造形思考の起点になっていることが少なからずあったからです。それならばノグチ自身が実際に著した文章を読んでみたいという衝動に私が駆られたとしても不思議ではなく、まだまだ私の頭の中はイサム・ノグチ・ワールドに占領されていると言えます。「イサム・ノグチ エッセイ」にはモノクロの写真が多く掲載されています。その写真を見ているだけで、私は彫刻に対する意欲が湧きあがってきます。冒頭の文章を少し読んでみると、ひとつずつの章は短く、また独特な言い回しがあって、意味を吟味しながら読み進めていく必要を感じます。それでもノグチはかなりの文章家であることが分かり、その思索には興味津々です。ノグチの師匠であるブランクーシに関する章もあり、また庭園に関する文章も散見され、他者が書いた伝記とは違う意味合いを感じながら読んでいきたいと思います。私は彫刻とは精神の産物で、それは思索によって支えられていると常々考えています。彫刻は、平面的な絵画と違い、立体構成物として空間に存在することが思索を促す要因になっていると思っています。それは現象学にも通じ、モノが存在する本質的な捉えとはいかなるものかを考えさせる動機にもなります。イサム・ノグチの著したものに少なからずそうした内容が含まれているはずです。私自身も思考を深めながら本書に向かい合いたいと思います。

関連する投稿

  • 「瀧口修造 白と黒の断想」読後感 「瀧口修造 白と黒の断想」(瀧口修造著 […]
  • 「彫刻と写真」より抜粋 「彫刻のマッスを光源を動かしてみるというような動的な角度は、近代彫刻の表現と鑑賞から切りはなすことができないし、古典彫刻の場合には再発見となる。こうした微妙な光と角度の発見は、実に写真によってこそ定 […]
  • 作家不在の工房の存在感 ロベール・ドアノー写真集「芸術家たちの肖像」の中で、工房だけが撮影されている頁があります。そこに作家はいません。ただし、文章で作家の存在が示されています。「そこはヴォージラール通りの裏手にある行き止 […]
  • 21’図録の完成 5月30日に個展用の図録を作るための撮影を行い、今日新しい図録1000部が自宅に届きました。図録は16冊目になりますが、毎回同じサイズ、頁数で作っています。図録は前頁カラー版で正方形の冊子になります […]
  • 21’個展図録の色稿と案内状印刷 来月の個展に関する図録の色稿が出来上がってきました。今度の個展で16回目になりますが、図録に関しては1回目から同じ大きさ、同じ頁数で作っています。案内状(DM)は1500部印刷されて手元に届きました […]

Comments are closed.