茅ヶ崎の「國領經郎展」

既に閉幕している展覧会の感想を取り上げるのは恐縮ですが、横浜生まれの國領經郎の画業を自分なりに振り返ってみたいので、詳しい感想を掲載させていただきました。広漠とした砂丘に人物の群像が描かれた絵画が、私の知る國領經郎の世界です。描かれた人物像に生々しさはなく、西洋の古典画法を彷彿とさせる象徴的で様式的な美の世界がそこにあります。國領經郎の世界を眺めていると、イタリアのルネサンス絵画を見ているような錯覚に陥るのは何故なのか、國領經郎はこの大きなスケールで何を求めていたのか、何を表現したかったのか、図録にあった解説からヒントを得ることにしました。「両親との思春期の死別、不穏な時局下の僻遠無縁の地への単身赴任、そして不条理な戦争と兵役という一連の体験によって色を濃くしていった孤独感は、國領の脳裡に消しがたく伏在しつづける。この体験からおよそ20年を経て、國領を砂丘・海浜の空間、砂の主題に逢着せしめることとなった。むしろ、そこにいたるまで、20年の歳月を要したというべきだろう。~略~心の奥に内在するイメージ(心象)が造形に先行するのであれば、そこに現実のモデルの肉体を持ち込むと逆に不自然になり絵にならないのだという。あらかじめ想定されているイメージにふさわしい人物の輪郭、『しなやかな線』といい『理想の線』とも述べる線で象られた人物は、イメージの主要な構成要素であると同時に、背景にある海岸線や砂丘のかたち、雲や草花などの他の要素に呼応し、またはそれらと相補して画面全体の造形に奉仕するものでなければならないだろう。~略~國領は、ボッティチェッリのヴィナスに、性と聖、この二項が絶妙に均衡した、メランコリーとコケティッシュな羞恥をまとう肉体を認めている。」(柏木智雄著)國領經郎の世界には、やはりボッティチェッリを代表とする西洋の古典が入っていて、描かれた人物像にはニーチェが「悲劇の誕生」で象徴したアポロン的理性があるように思えます。人物は時に情念を醸し出しますが、國領經郎の世界の乾いた感性は、我々が知る情念や情動とは別の雰囲気を纏っているように私には感じられました。

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