「命題論的分析論としての形式論理学」第14~15節について
2020年 8月 27日 木曜日
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。本論として初めに第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」があり、第一篇はAとBに分かれ、Aは第一章から第三章、Bは第四章と第五章から成り立っています。ここでは第一章「命題論的分析論としての形式論理学」の第14~15節についてまとめを行います。ここでは形式論理学の次の段階としての整合性(無矛盾性の論理学)について書かれていました。形式論理学の中で判断をどう扱うか、何度か読み返しても私にはまとめることができず、注目した箇所の引用でご勘弁願います。「判断の整合性についての類的な諸真理として、例えば適応する形式の各前提判断の中に、特定の形式の諸判断が(《分析的に》)包摂されていることについての真理として保有していることは、洞察されうる。同様に、別の推論の諸形式は分析的な反対帰結、分析的な《矛盾》の本質的諸法則の価値を有してはいるが、しかしこれらは実は《推論》の諸形式ではなく、いわば《排除》の諸形式である。~略~すなわち伝統的な形式論理学は純粋な《無矛盾性の論理学》ではないということと、この純粋性を明示して、論理学の問題設定と理論において最も重要な内的な区分がなされるべきだ、ということである。」そこで第14節の最後に「的確に理解された単純な分析論の基本的諸概念に妥当性の基本的諸概念として(規範概念として)含まれるのは分析的な整合性と矛盾だけであり、それに反して既述のとおり、真理と誤謬はその諸様相も含めてここには登場しない。」とありました。第15節では、前節を受けて次のようにまとめています。「もともと区別されるべきこの両概念が、論理学ではわざわざ形式化される本質法則的な連関によって初めて、単なる分析論が形式的な真理の論理学に転換すること」としていました。今回はここまでにします。