「命題論的分析論としての形式論理学」第12~13節について

「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。漸く今日から本論に入ります。本論は第一篇「客観的な形式論理学の諸構造と範囲」、第二篇「形式論理学と超越論的論理学」から成り立っています。本書のタイトルは第二篇から取っているので、ここが結論になるのだろうと思います。第一篇はAとBに分かれ、Aは第一章から第三章、Bは第四章と第五章から成り立っています。ここでは第一章「命題論的分析論としての形式論理学」の第12~13節についてまとめますが、節については通し番号になっていて「予備的な諸考察」から続いています。第12節で語られる純粋な判断形式とは何か、冒頭の文章を引用いたします。「われわれの一般的な解説によって予め理解されたことは、〈体系的に論述された論理学の歴史上最初の部分として成立したのはアリストテレスの分析論であり、これが理論的な形成物〔=主に諸命題〕についての論理学の最初の試みであった〉ということである。」さらに「事象的な事柄を示す言葉(述語)の代わりに、代数学の文字記号を採用したのである。」第13章は判断の純粋形式論になり、そこでの変形または操作の概念が登場してきます。「記述を体系的に一貫して純粋に遂行すれば、独特の一つの教科が明確に区分されたであろう。この教科は『論理学研究』で初めて定義され、意味の純粋形式論(もしくは純粋論理学的文法)と呼ばれたのである。」基本的諸形式とそれらの変形について書かれた箇所を引用します。「可能な諸判断一般をそれらの形式について分類しようとすれば、《基本的な諸形式》が、と言うよりはむしろ、それら基本形式の完結したシステムが明らかになり、そしてさらに、これらの基本形式から、独自の本質法則性によって、つねに新たな、しかもしだいに多くの異なる諸形式が、そして最後に、考えうるすべての判断形式全般のシステムが、それら諸形式の無限に多くの異なる諸形態と次々に区別される諸形態との中で順次構築されうる、ということである。」次に操作の概念に論考が及びます。「それは〈複数の形式から或る一つの形式を作る操作の各形態化には、それぞれの法則があり、そしてその法則は本来の各操作の場合には、新たに作られたものもまた同じ操作で処理されうる〉ということである。したがって操作の各法則は反復の法則を内包しているのである。」まとめというより、おそらく著者が主張したい箇所の引用だけになってしまいましたが、一文一文をじっくり確認していくと、まとめとして短文にすることは私には不可能で、節ごとに気になった箇所の引用で御容赦願いたいと思っています。職場で時間を決めて読み込んでいくのが精一杯な論文です。

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