イサム・ノグチ 結婚と原爆慰霊碑

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第32章「山口淑子」と第33章「北鎌倉」のまとめを行います。「おそらくノグチと山口が親近感を抱いたのは、おたがいのなかに潜在する悲しみを見分けたことと関係があったのだろう。どちらもが美貌と才能、成功に恵まれていたにもかかわらず、異なるふたつの文化のあいだで引き裂かれていた。」女優山口淑子は中国の満州で育ち、中国人の養女となり、日本帝国主義支援の女優・歌手としてデビューしていました。日米混血の彫刻家と日中で活躍する女優の結婚は、当時話題になっていたようです。北大路魯山人との出会いで、北鎌倉にある住居を2人のために魯山人が気前よく使わせたのも話題でした。「日本人の花嫁とともに隠れ家、しかも日本的な儀式の隠れ家をつくることでノグチは自分自身をひとつの場所に結びつけた。『ぼくは歓びと活力に満たされた』。」ところが2人の結婚は長く続きませんでした。「ノグチと山口はとても愛しあってはいたが、問題もあった。ふたりの生活様式はノグチが選んだ。『こんな、全く見知らなかった異質の世界に身を置いて』と山口は書いている。『私はそのすべてを吸収しようと努力しました』。どちらもが激しい性格で頑固だった。そして文化の違いもあった。山口の目からみればノグチはまったくのアメリカ人だった。」ノグチの制作に関してはリーダーズダイジェスト社の庭園を手がけたり、原爆投下による復興中の広島での橋の欄干のデザインの依頼を受けたりしていました。「11月末、ノグチは橋の欄干工事の進捗状況を見るために丹下健三と広島にいった。ノグチ、丹下、広島市長はノグチが原爆犠牲者の慰霊碑をデザインする可能性について話し合った。」ところが、これはノグチの国籍等の問題で実現には至りませんでした。「ノグチは慰霊碑の不採用を『日本におけるぼくのもっとも不愉快な経験』と呼んでいる。最終的に委員会は丹下が慰霊碑をデザインすることに固執し、丹下は原爆記念日に間に合うようにデザインを1週間で仕上げなければならなかった。」また時代背景も変わっていき、ノグチの日本での立ち位置も微妙になってきました。「ノグチはもはや西洋の文化に飢えた日本にモダニズムの知らせをもたらす先触れの鳩ではなかった。~略~この反米感情を考えれば、日本芸術界とノグチの関係が変化したのも驚くことではない。ノグチはもはや魅力的な新来者ではなかった。」

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