「予備的な諸考察」第1節~第4節について
2020年 7月 6日 月曜日
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)は本論に入る前に「序論」があり、さらにそれに続く「予備的な諸考察」もありました。今回は「予備的な諸考察」の全11節のうち第1節~第4節のまとめを行います。まとめと言っても重厚な考察を簡単にまとめることが出来ず、気になった文章を抽出することでまとめに変えたいと思っています。まず冒頭でロゴスをいくつかの語義の中から論述という語で表すことにしたという文章がありました。「ロゴスがもつ論述という意味によれば、われわれは主に、主張する思惟作用へ、通常の語義での判断する思惟作用へ、というよりはむしろ思想としての諸判断へ導かれるであろう。」次の節ではイデア性が登場します。このイデア性の特徴として「言語はいわゆる精神世界の、あるいは文化世界のいろいろな対象の客観性を保持しているのであって、たんに物理的な自然のそれを保持しているのではない。」さらに「論理学者にとって言語は当面まずそのイデア性の面だけが、つまり〈現実の実在化や可能な実在化とは対照的な、同一の文法上の語〉や〈同一の文法的な文および文の連関〉だけが問題になる、ということである。」第4節では意味指示機能をなしうる思惟作用のことをこのように論述されていました。「この最も一般的な《思惟作用》の範囲を本質的に限定する問題、つまり範例的な諸直観から本質を一般化してえられる本質類を明示すべき範囲限定の問題、しかもこの《思惟作用》のすべての特殊形態にとって類的に諸表現が形成され、そしてそれらに対してそれぞれ特殊な思惟作用が意味付与するであろうということが、洞察しうるような範囲限定の問題である。」今日はここまでにしますが、通常の生活では聞き慣れない語彙が頻繁に出てくる本書は、内容には入り込むまでに時間を要します。そもそもこれはどういうことかという基本に立ち返って考えてみる必要があるわけで、そこを困難と感じるか否かで、本書に対する取り組む姿勢が変わってくると思っています。