イサム・ノグチ 収容所から自由へ

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第20章「ポストン」と第21章「マクドゥガル・アレー」のまとめを行います。日系人であったノグチはポストンにある収容所に志願して入りました。「ノグチには第五区第七号A室が割りあてられた。独身者用の区域だったが、他の独身者とは異なり、角部屋の一室をひとりだけで使えた。ノグチはレクリエーション&アートセンター建設のための日干し煉瓦づくり監督を任された。だが、ノグチのポストン・プロジェクトはほとんど実現されなかった。~略~ノグチはコリアーに、自分のプロジェクトのための材料の不足、技能をもつ人材の不足、いまだに立ち退き者のための新聞がないという事実を知らせ、文句を言ってすまないと謝った。」収容所内の管理局との間に窮屈さを感じ、またノグチを取りまく環境は良いとは言えず、ノグチは出所要請を出しました。「軍はようやく1942年11月2日にノグチのポストン出所を許可した。」次の章では1949年までノグチが暮らした街角マクドゥガル・アレーでの制作について書いてありました。「自由になって最初の夏、ノグチは石を彫った。『収容所から出てきたあと、最初の作品は《レダ》だった』。官能的で柔らかな曲線を描くアラバスターの《レダ》は、形態の着想をアルプに得ている。~略~1943年から44年にかけてノグチはバイオモルフィックなマグネサイトの彫刻シリーズを制作し、内側に明かりをともした。」この頃、ノグチはロベルト・マッタの妻アン・マッタ・クラークとロマンスがあったようです。「ノグチとアンの友人たちの何人もが、アンはノグチがほんとうに愛した数少ない女性のひとりだと証言する。~略~友人たちはアンがノグチの孤高に惹かれ、その献身に感謝はしていても愛していなかったと言う。」

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