「第5章 神奈川時代」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第5章 神奈川時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。「レオニーとイサムは四年半東京に住んだ。大森には一年足らずしかいなかったが、1911年秋には、今度は更に南に下り、横浜も越えて、海辺の町茅ヶ崎へと引っ越した。~略~茅ヶ崎は、東京から南西へと伸びた神奈川県にあり、レオニーはここで残りの日本での生活を送った。」とある通り、茅ヶ崎では子爵の別邸を借りていましたが、そのうち自分たちの家を建てることになります。その間中、友人のキャサリン・バネルへ宛てた手紙で当時の生活を知ることが出来ました。イサムの妹アイレスが1912年1月27日に誕生していますが、相手が誰なのか定かになっていません。イサムがインタビューに答えた記事があります。抜粋して紹介します。「私は二重のバックグランドを持っているわけです。とりわけ六歳かそれ以前ー多分、五歳か、六歳ごろから10歳まで、茅ヶ崎の田舎に住んでいた間にね。~略~そこには外国人の子供は一人もいなくて、僕の友達はすべて日本人の子供でした。~略~沢山の友達を持ったことはありません。何の思い出もありませんよ。実際、それはこっち(アメリカ)に来てからも同様です。素晴らしい友情を育むことはありませんでした。僕は孤独な人間だったのです。~略~母はすごく物静かな人でした。ちょっと引っ込んだ感じの人でした。全然自分を前に出すところがなくて。だから彼女の人生はとても孤独でした。友達もあまりいませんでした。それが僕に影響しているんだと思います。~略~結局、どんな社会にも属せない人間は、社会と接触しない人生に価値を見出すことができるというわけです。例えば、芸術家になり孤独になるということです。芸術家の生活というのは本当に孤独なものです。孤独な時にのみ、本当に創り出すことができるのです。もし孤独でなかったら、社交的でいい感じの人でしょうが、決して駆り立てられないでしょう。結局、芸術というのは、絶望から駆り立てられるのです。人間は自然にしていれば怠惰なものです。駆り立てられない限り、何もしないのです。」イサムは母より一足早く日本を離れて渡米します。イサムはレオニーが考えていた学校には入れず、アメリカの公立学校に入れられたことを後になってレオニーが知ることになります。レオニーとアイレスもいよいよ渡米する日が近づいていました。今回はここまでにします。

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