「第3章 ロサンジェルス時代」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第3章 ロサンジェルス時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。「将来の彫刻家イサム・ノグチが、新聞のニュースに予期せぬ初登場をしたのは、誕生後ようやく1週間になろうかという時だった。ロサンジェルスの『ヘラルド』紙のレポーターが誕生を聞きつけて、ロサンジェルス郡病院の病室で、難産の後の身体を休めているレオニーのもとへやってきた。~略~ヨネ・ノグチのベイビー、病院の誇り 作家の白人妻、夫に息子を贈る(『ロサンジェルス・ヘラルド』1904年11月27日)」一方、野口は既に日本に帰国していました。「ノグチはニューヨークの通信社の従軍記者として八月に日本へ向かった。彼の妻は彼が日本へ発ったのと同じ頃にロサンジェルスにやって来て、それ以降当地に滞在している。~略~レオニーは、ヨネには彼らしく生きてほしいと、彼が望んだ返事をよこした。しかし子供のためには、いったん結婚と子供の存在を認めてほしいこと、そしてその上で法的に離婚してほしい、そうすれば彼はどんな女性とも自由に結婚できる、と書いてきた。」その後、レオニーはカリフォルニアでテントによる我が家を建てています。レオニーはそのことについて雑誌に詳細な記事を書いていて、当時の生活ぶりがよく分かります。旧知の修道女に書いた文章を引用します。「あれから色々ありましたが、一番にお伝えしたいのは私に男の子が生まれたことです。もうすぐ1歳になります。彼は日本人の血を引く元気な赤ん坊で、父親とよく似た穏やかな黒い目をしています。この1年ほどは、この赤ん坊に手を取られていますが、夫の文学上の細々とした仕事も手伝っています。夫ノグチはまだ東京にいて、大学でアメリカ文学についての講義を持たされているようで、この冬には辞めたいと考えていたのに、そうもできない状況のようです。だから、おそらく私の方が、来春にも赤ん坊を連れて日本へ行くことになると思います。」野口からの誘いの手紙もありました。「レオニー、これは重要な手紙なんだ。じっくり考えて、答えてほしい。以前僕は君に日本に来るように言った。僕はまたそのことを考えている。君と僕たちの赤ん坊にとって、そのほうがいいと僕は思っている。なぜかって?僕は赤ん坊を育てるのを助けることができるし、彼は父なし子にならないですむ。これはとても重要だと思う。また、君にとっても日本で生計をたてるほうが簡単なはずだ。君は学校教師として働けるし、仲間としても仕事ができる。」レオニー母子を日本に駆り立てたのは、実は野口からの切望ではなく、国際結婚が齎す弊害にあったようです。「ロサンジェルスはこれまでと変わりなく明るい気候であったが、日本人移民が歓迎されなくなりつつあるという怪しい雲行きを、レオニーは感じとっていたに違いない。ロシアの熊を相手に勇敢な戦いを挑んだ『小さな黄色い男たち』への熱狂は、太平洋におけるアメリカの利権や西海岸の安全を脅かす新たな黄禍論として、日本人への漠然とした恐れに取って変わられつつあった。」1907年の「国籍離脱法」がレオニーに日本行きを促す結果になりました。その法は「国際結婚をした女性の市民権は、その夫によるものとしている。」というわけで、「新しい法案はレオニーを大変困った立場に陥らせた。ヨネ・ノグチの妻とされている彼女はもはやアメリカ市民ではないのである。」

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