「第2章 ニューヨークとニュージャージー時代」について

「レオニー・ギルモア」(エドワード・マークス著 羽田美也子 田村七重 中地幸訳 彩流社)の「第2章 ニューヨークとニュージャージー時代」についてのまとめを行います。世界的彫刻家イサム・ノグチの母であるレオニー・ギルモアはどんな生涯を送ったのか、本書の頁を捲りながら彼女の人となりを考えていきたいと思います。まず「第2章 ニューヨークとニュージャージー時代」では、彼女が学校を終えて日本人である野口米次郎と結婚の誓約書を交わすまでの経過を追っています。レオニーは大学時代からの親友であったキャサリン・バネルとの共同生活を始めます。教壇に立つこともあれば編集や翻訳の仕事をやっていた彼女たちは決して楽ではない生活だったようですが、キャサリンの手紙によって衣食住の詳細が分かります。その頃レオニーは詩の翻訳の新聞広告を見つけ、依頼人ヨネ・ノグチ(野口米次郎)の手伝いをすることになり、仕事上のパートナーになっていきました。野口はレオニーの翻訳を相当気に入っていたようで、縋るような気持ちでいたことが野口の手紙によって分かります。ただ、野口は別の女性に恋愛感情を持っていて、レオニーとの仲は複雑なものになっていました。「この当時のヨネの写真を見ると、なかなか彫りの深い、立派な身なりをしたハンサムな青年で、頬がこけていて、少々女性っぽい口元をしており、渡米前のどこかぼんやりとした表情はなくなって、代わりに意志の強さが顔に表れている。レオニーのほうは女学生のような雰囲気をまだ残しているのだが、6月で30歳の誕生日を迎えようとしていた。どう考えても彼女は野口の理想の女性のタイプではなかったが、まさにこの彼女の資質が彼にとっては便利なものだった。野口が8月末にニューヨークを発ったときはすでに何かが起こっていた後だったのだろう、両者は明らかに悩んでいた。」本文の中にこんな一文がありました。「ヨネ・ノグチの宣誓書(1903年11月18日)私はレオニー・ギルモアが法律上の妻であることを、ここに宣誓する。」続く本文にこんなこともありました。「ところで、そもそもこの結婚の宣誓書は法的に有効なのであろうか。端的に答えるならば、否だ。かなり昔ならば、有効だったかもしれない。ニューヨーク州は、他の州に先駆けて1849年に『慣習法による結婚』を認めた。~略~恐らくレオニーの両親も、慣習法による結婚生活を送っていたのではないだろうか。結婚の契約を証明する何らかの証拠の他に、慣習法による結婚かどうかを判断する基準は、同棲しているかどうか、周囲に結婚していると思われているかどうかという点である。」また別の女性に関する記述もありました。「エセルが再び野口の前に現れたことが、野口とレオニーの破局につながったかどうかは別として、野口のなかでこの二人の女性に対する思いは全く別のものだということは、疑いようもない。レオニーの存在は、これまで野口にこのようなロマンティックだが無意味な詩を書かせるようなインスピレーションを起させたことはなかったが、エセルにはそれができた。」結局エセルとは結ばれることがなかった野口でしたが、最後に私はこんな箇所に注目しました。「レオニーは非常に誇り高く、自立したボヘミアンであったので、5月に妊娠がはっきりしてすでに妊娠二期に入ってからも、頑固に野口に知らせようとはしなかった。一方野口のほうはというと、『人は夫や妻をまるで靴下や下着を取り替えるように取り替える』とまでは思っていなかったが、とにかく忙しくてこの問題に正面から向き合う時間がなかった。」

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