「天龍道人源道の仏画」について

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅣ「天龍道人源道の仏画」についてのまとめを行います。天龍道人源道という名前を私は初めて聞きます。どんな人なのか紹介文を拾ってみます。「東方に南アルプスを望む美しい環境の山腹に、清林山浄玄寺という浄土宗の寺がある。この寺の本堂、経蔵、書院など、いたるところの壁や襖、天井は、特異な絵で埋め尽くされている。18世住持であった徳誉源道和尚(天龍道人、1852-1925)の描き残したものである。」天龍道人源道は江戸から明治にかけて生きた人だったことが分かりました。どんな生涯だったのか、そこに触れた文章を引用いたします。「伝記・逸話を通じて、われわれに与えられる源道のイメージは、農民の暮らしに密着し、彼らの心のよりどころとなって敬愛を一身に集めた、生涯独身、高徳の清僧である。~略~だが、かれの残した絵は~略~そうした清僧のイメージとはかなり異質なものである。」ここで浄玄寺障壁画を2点紹介しています。まず「釈迦成道図」。文章を引用すると「釈迦のイメージを、その生地であるインドに見出すという源道の思想傾向がそこに反映していると思われるのである。インドの仏画を思わせるような濃厚な装飾的色調のエキゾティズムもこのことに関連しよう。だがそれにしても、日本の仏画の伝統からかけはなれた自前のイメージであり、土着性に満ちたプリミティヴな表現である。」とありました。次に「浄土七宝蓮池図」。これは「観無量寿経」のうちの第5番「宝池観」によったものと推定されていて「柔らかな七宝でできた八つの池水に60億の宝石の蓮花がある。池水は如意珠王(あらゆる願いを叶える最高の珠宝)から生じ、分かれて14の支流となる。-珠宝からは、美しい黄金色の光が流れ出し、その光は化して百宝色の彩りを持つ鳥となる。相和して鳴く声は甘美優雅であって、常に仏を念じ、法を念じ、僧を念ずることを讃える」というものです。著者は天龍道人源道を、日本が近代化を進める世相の中で、どう見て評価していたのか、次の箇所でまとめとします。「明治の日本は、国をあげて欧米の文明を志向し、それまでの日本人が日常生活のなかで育ててきた伝統的イメージの価値を否定し捨て去ろうとした。源道の作画は、そうした状況のもとで地方の民衆がなお保ち続けた土着的な想像力と信仰のイメージを、力強く代弁できたおそらく最後の例として、改めて注目されるべきだと思う。民衆の生活に密着し、アマチュア画家天龍道人として終始した源道の絵には、絹地や金銀の箔を用いたものが滅多にない。絵具もたいてい泥絵具系の安価なもので、緑青、群青、朱などの高価な絵具は使わない。だがそうしたハンディが、表現の直截な力強さ、イメージの独自性と不可分につながっている。近代化の波のなかに埋もれた土の匂いのする珠玉である。奇は巧まずしてそこにあらわれた。」

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