「北斎晩年の<ふしぎな世界>」について

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅢ「北斎晩年の<ふしぎな世界>」についてのまとめを行います。今や国際的な名声のある日本人画家といえば葛飾北斎の右に出る者はいません。西欧人にフアンが多いのは19世紀から20世紀初頭にかけて印象派の画家たちが挙って北斎の浮世絵からインスピレーションを受けたことによります。北斎を写実主義者というにはちょっと抵抗があり、晩年になるほど写実的な描写から離れ、独特で説得力のある象徴的な表現へと移っていきます。私は北斎のそうした晩年の作品に魅力を感じる一人です。北斎イズムと言われる不思議な世界について文中から拾ってみます。「一方には、自然や人間の形態、表情を鋭く観察し、それをユーモラスに再現することのできるリアリストとしての北斎があり、そして他方には、自然のかたちを奇妙な北斎イズムの世界に翻訳することに熱中するマニエリスト北斎がある。」具体的な例としていくつかの滝を描いた絵画を引き合いに出し、その表現に卓抜とした構成力が発揮されているのを私は確認しました。「この神秘感に満ちたイメージは、かれが滝の伝説をもとに、想像力を駆使してつくりあげた大いなる幻影といえるだろう。」滝の絵画に限らず、北斎には植物や動物の描写でも奇想的なイメージが付き纏っています。「こうした北斎の奇想は、70代になってあらわれたものではなく、若いころからすでに潜伏していた。化物を描くとき、その奇想は、他方のリアリストとしての資質と結び付いて衝撃的なイメージをつくりだしている。~略~かれは妖怪の実在を信じていたに違いない。それでなければどうしてこのような迫真的なお化けのイメージがつくれるだろうか。」北斎の眼と心に着目した一文もありました。「北斎が描く鳥や動物や魚は、草花以上に直接にかれの心を伝えてくる。その心とは人間である自分も動物と同じ霊魂を持ったとみるアニミスティックな心であり、その心を直接伝えるのは眼である。」北斎は画業一筋に長寿を全うした世界にも類を見ない画家でした。私も北斎の「ふしぎな世界」を日本人として誇りに思います。私が感銘を受けた北斎の作品はここに取上げられていませんが、有名な「神奈川沖浪裏」をさらに発展させた「男浪」と「女浪」です。本作品は、長野県小布施にあり、祭り屋台の天井図として描かれたものですが、荒れ狂う波だけで表現された世界に私は惹き込まれてしまいました。90歳で生涯を閉じた北斎でしたが、最後にこんな文章を引用いたします。「辞世の句は『ひとだまで、ゆく気散じや、夏の原』であった。自分の魂が体から離れて、夏の原を自由に飛んでいくーそれを北斎は『気散じ』ということばであらわしている。死を間近に控えてのこの余裕は、かれの戯作者としてのユーモアの精神をあらわすものだろうが、それ以上に、死後の霊魂の存在を確信する精神のしたたかさを感じさせる。」

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