劇作家の逝去記事を巡って

先日、新聞に劇作家であり童話作家でもあった別役実逝去の記事が載っていました。今月の3日に亡くなったという記事でしたが、私は20代の頃に演劇を観に、東京のあちらこちらに通っていた懐かしい時代を思い出しました。当時はアンダーグランド演劇がピークを過ぎた頃で、赤テント(状況劇場)の唐十郎、黒テントの佐藤信、天井桟敷の寺山修司に並んで鈴木忠志が率いていた早稲田小劇場にも足を運んでいました。早稲田小劇場では女優の白石加代子の鬼気迫る演技にも惚れ惚れしていました。そんな早稲田小劇場で観た演目が劇作家別役実のものだったと振り返っていますが、その日常に潜む不思議な感覚を齎す世界が今でも印象に残っています。空虚で乾いた世界というべきか、何か根底に怖ろしいものがあって、それを誇張するわけでもなく何気なくサラリと演じる役者に妙なリアルも感じていました。それは不条理演劇という分野に入るものらしく、理屈に合わない世界に無意味であっても無意味とは言い切れない新しさも感じていました。20代の私が日常とは何だろうと考える契機にもなっていました。別役実著の童話集「淋しいおさかな」も購入して読みましたが、その書籍は40年前に友人に貸したまま戻ってきていません。別役実には宮沢賢治の影響があったようで、中・高時代に宮沢賢治の詩や童話を愛読していた私は、宮沢賢治に似た世界観を別役実に見取って身近に感じていたのかもしれません。フォーク歌手の小室等が歌う「雨が空から降れば」も別役実の詞で、「雨の日はしようがない」というフレーズが不条理をそのまま受け入れて達観しているような気がしています。私にとっては青春の一幕ですが、アンダーグランド演劇の昂ぶりがなくなってしまっている今も、実験的な演劇活動が活況を呈して欲しいと願ってやみません。最近は映画には頻繁に行くけれど、演劇には足が遠のいている自分ですが、時間が出来れば昔のように演劇に心身ともに埋没したいと思っているのです。

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