「北斎の信仰と絵」について

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅢ「北斎の信仰と絵」についてのまとめを行います。葛飾北斎は国際的な名声を得た日本の画家として有名ですが、自らの画業を完成させるため、長く生きることに執着したことでも知られています。私が羨望の眼差しで葛飾北斎を見ているのは、独特な世界感や卓抜した表現力もそうですが、長い生涯を画業で全う出来たことによります。そんな北斎は仏教的解脱から遠い存在のように思われていて、生涯を紐解くと絵画に賭ける生々しさが伝わってきます。本当のところは果たしてどうなのか、本章はそこを探っていきます。「彼の友人の滝沢馬琴が、北斎の母の年忌に際し、彼の困窮を見かねて香典を包んだ。その日の夕方、北斎は馬琴のところへ来て談笑するうち、懐から紙を出し鼻をかんで投げ出した。馬琴がそれを見ると朝与えた香典の包みである。馬琴は大いにおこって、中の金は仏事に使わず他のことに使ってしまったにちがいない、親不孝な奴め、とののしると、北斎答えて曰く、たしかに、いただいた金は自分の口中にしてしまった。精進物を供え、僧を雇って読経させるようなことは世俗の虚礼である。父母の遺体はすなわち自分の一身なのだから、自分の体を養い、100歳までの寿命を保つのが親孝行ということにならないだろうか…」(飯島虚心『葛飾北斎伝』)これでは北斎は不信心だったと思われても不思議はないのですが、こんな一文もありました。北斎は「妙見(妙見菩薩・北辰菩薩)を信仰した。妙見菩薩は北極星・北斗七星を神格化したもので、延命、除災、とくに眼の病を救う守護神として平安時代から信仰されていた。~略~彼の号戴斗は、妙見信仰からきたものである。~略~このような北斎の信仰は、呪術に頼って除魔・除災といった現世利益を得ようとする江戸時代庶民の宗教感情を如実に反映したもの」ということで、北斎の信仰はなかなか独創的でもあったようです。北斎の肉筆画「西瓜図」には包丁が描かれていて、包丁についた白い点々がゴミではなく北斗七星であることも北斎の信仰を物語るものとして知られているようです。「西瓜図」は何とリアルで美味しそうに見えることか、改めて彼の画力に驚いてしまいます。

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