ブランクーシの制作環境

ルーマニアの彫刻家コンスタンティン・ブランクーシとアメリカの日系彫刻家イサム・ノグチ。師弟関係であった2人に私は強い興味関心を抱いていて、それぞれのアトリエを訪ねています。20代の頃、ヨーロッパにいた私はパリにあるブランクーシのアトリエを見てきました。もう40年も前のことなので、微かな記憶しかありませんが、憧れの彫刻家が制作した場所は、その張り詰めた空間だけが印象に残っています。同時期にルーマニアにも足をのばし、民俗的な建造物に装飾された文様にブランクーシの原点を探ったこともありました。イサム・ノグチは、四国の高松にあるイサム・ノグチ庭園美術館を訪ねていて、そこにあったスト-ンサークルに感激し、それらしい空間を自分の工房にも作ろうと思い、規模的には小さいけれど、工房に隣接する野外工房を私は持ちました。私を駆り立てているのは、まさにこの2人の巨匠です。「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)の中に、ブランクーシの制作環境を描いた箇所があって、そこの部分を取り出します。「ノグチのようにブランクーシもまた少年時代、カルパチアの山中で羊飼いをしていたときに木彫を学んでいた。その後使用人として働きながら一丁のヴァイオリンを彫り、才能を認められて土地の美術工芸学校に入れられた。ブカレストとミュンヘンでいくらかアカデミックな修業をしたあと、1904年にパリまで徒歩でいき、エコール・デ・ボザールのクラスに出席した。しかしルーマニア民俗芸術の記憶ゆえに、結局はアカデミックなアートに背を向け、写実主義的な肖像表現を『ビフテキ』と呼んで揶揄するようになった。ロダンを称賛はしていたが、『大樹の陰ではなにも育たない』と言って弟子にならないことを選んだ。~略~ノグチはブランクーシのアトリエを『基本的な形態を抽出するための実験室』と呼んだ。アトリエの空間とその備品の荒削りの簡素さは、ブランクーシという人間の純粋性と活力の反映に思われた。~略~ブランクーシは一種のオアシスをつくりあげ、そこではその彫刻と生活とが一体化していた。ノグチのつくりだす空間もまた、そこを訪れる者が時の外へと運ばれていく安息所となるだろう。~略~このルーマニア人彫刻家はおそろしく規律正しい人だった。アトリエ内では『すべてがつねに清潔だった』とノグチは回想する。『そこらじゅう石だらけだったにもかかわらず』ブランクーシはいつも『たいへんこざっぱりした人物』だった。やがてノグチもまたアトリエ内の道具の置き場所にはほとんど強迫観念的にこだわり、またブランクーシ同様に自分の彫刻作品の展示法を大いに気にかけるようになる。」

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