イサム・ノグチ 師との出会い

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第9章「ぼくは不滅の人びとと並び立つでしょう」のまとめを行います。ノグチはフランスのパリに旅立ち、そこで現代彫刻の父と称されるルーマニア人彫刻家コンスタンティン・ブランクーシと出会い、助手を務めることになります。「ノグチが1927年3月31日のパリ到着からおよそ1ヶ月後にブランクーシの助手になったことは否定出来ない。」という一文があり、パリ滞在の様々な憶測の中で、意外にも早くブランクーシの下で働けたことは事実のようです。渡仏後もラムリーはノグチを支援し続け、交友関係や読書にも意見を述べていました。ノグチからの手紙の中でこんな箇所がありました。「時間!ぼくに時間を、だが中断されることなき時間をください。そうすればぼくは不滅の人びとと並び立つでしょう。」パリでノグチと付き合い始めた女流画家ルランはこんなことを言っています。「イサムはブランクーシと同じルーマニア製の木靴を履いていたほどブランクーシに傾倒していましたわ。ブランクーシの仕事一途の生活を、繰り返し話していました」また敬愛していた師匠のブランクーシにノグチはこんなことも感じていたようです。「ブランクーシを絶賛はしていたものの、ノグチはブランクーシはもはや新しい分野を切り開いているのではないかと感じた。」つまり実質的には既に新しいことをブランクーシはやり尽くしていて、完璧にするため磨きをかけるくらいしかないのではないかと思っていたことも確かだったようです。それでもブランクーシに学んだことはとても多く、その後のノグチの彫刻家の生きざまを決定づけたとも言えます。「ブランクーシと過ごした数ヶ月のあいだノグチがやっていたのは、ブランクーシの方法と思想とを吸収することによって自分自身にモダニズムへの準備をさせることだった。~略~ブランクーシはノグチに教えた。『捨て去るべき習作としてものをつくっては絶対にいけない。いまある自分よりも先に進みつつあると考えては絶対にいけないーなぜならばこの一瞬に全力を尽くすことで、きみは将来なりうるのと同じほどに優れたものとなれるからだ。きみがいましていること、それがすべてなのだ』。~略~ノグチとブランクーシの両方にとって彫刻は起源への回帰、原始のフォルムの追求を意味した。ノグチは、ブランクーシが『ほんとうの彫刻の起源、それがどのようにして思いつかれ、つくられたのか、その起源にもどることを望んでいた』と語っている。」この章にはブランクーシの制作環境に触れた部分がありました。それは別稿を改めたいと思います。

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