イサム・ノグチ 米国へ渡る

「石を聴く」(ヘイデン・ヘレーラ著 北代美和子訳 みすず書房)は「イサム・ノグチの芸術と生涯」を扱った評伝で、今回は第6章と第7章のまとめを行います。第6章「インターラーケン」では、いよいよノグチの渡米した様子が語られています。「ぼくが最初に見たアメリカは、松がそびえる北西部の海岸線とヴィクトリアを経てシアトルに向かう水路だった。」ノグチを最初に保護したエドワード・アレン・ラムリーの創設したインターラーケンで、彼は充実した学園生活を送っていたところ、ラムリーが親独派と見なされ、ついに逮捕され、学校は閉鎖に追い込まれたのでした。「戦争のために日本との通信は困難だった。母が恋しかったにもかかわらず、この十年間あまりにも多くの時間をひとりで過ごしてきたので、イサムは愛する人びとを必要としないすべを学んでいた。」その後、ノグチはローリング・プレイリーに移りました。「インターラーケンの自由な雰囲気とは違って、ローリング・プレイリー公立学校の子どもたちはこの異邦人を疑いの目で見た。イサムは年のわりには小柄で、その顔立ちには日本的なところがあった。もう一度イサムは自分をはずれ者と感じた。」第7章「ラ・ポート」ではラムリーが保釈され、ノグチをラ・ポートの自宅に連れ帰り、チャールズ・S・マック医師の家族に彼を預けました。「イサムはマック一家のもとで不自由なく暮らし、暖炉の掃除、芝刈り、新聞配達などで生活費を稼ぎながら高校を修了した。新しい家庭で安心感を得たにもかかわらず、心の奥深くにある不安感は残ったままだった。『ぼくは日本にいる母をたえず心配し、父親に対する道徳的な嫌悪感を育んでいった。』」高校を卒業する時期にノグチの進路に関する記述がありました。「ラ・ポート高校ではアメリカ風に『サム・ギルモア』を名乗り、好成績をおさめた。1922年にクラスの首席で卒業。絵がうまいと評判だったので、クラスの卒業記念アルバムの挿絵描きに選ばれた。~略~イサムが高校を卒業したとき、ラムリーはイサムに自分の人生をどうしたいのかと尋ねた。『ぼくは即座に答えた。アーティストだ、と。アメリカにきて以来、アートとはまったく無関係になっていたことを考えれば、これは奇妙な選択だった。ぼくはこれといった才能を示していなかった。反対に、アートに対して健全な懐疑主義といえるもの、おそらく偏見さえをも身につけていた。父がアーティストーつまり詩人ーだったからだ。~略~それでもぼくの最初の本能的な決定はアーティストになることだった。』」

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