「浮世絵春画と性器崇拝」について

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅢ「浮世絵春画と性器崇拝」についてのまとめを行います。私が浮世絵春画に出会ったのは20代の頃、ヨーロッパに住んでいた時代でした。ウィーンの芸術書を扱う書店に、ドイツ語版の浮世絵春画の画集がありました。そんな書籍を日本で見たことがなく、芸術書としての扱いに驚くと同時に妙に納得してしまった自分がいました。さっそく購入して下宿先で見ていましたが、それを見たからといって刺激を与えられることもなく、性器の誇張がパロディのようでいて、いかにも日本人らしいなぁと感じました。性器崇拝に関して文中から拾います。「道祖神は元来、境にあって異界から共同体を護る僻邪神であり、豊穣多産の神であって、男根、女陰をかたどるものであった。それが現在の双体道祖神のほとんどのように、手を取り合う男女といった微温的なものに変わったのは、性行為の露出が人倫にもとるとする近世の儒学者の非難をかわすための方便と見られる。しかしその底にある性器崇拝の思想は根強く伝えられ、決して根絶やしにはなってない。」縄文時代から日本人は大らかで、性に対しても開放的だったのではないかと思う節があります。春画にしても陰気な感じがせず、私はそこに様式美を感じ取ってしまいました。「春画における性器誇張の由来は、まず『古今著聞集』にあるような『絵そらごと』としての視覚効果の追求に求められる。だが民俗学的観点に立つならば、そこには同時に、縄文以来のphallicism(男根崇拝)の伝統を引く呪術性ー僻邪、多産、和合の神としての性器崇拝の観念が多分に重なり合っているように思われる。江戸時代後期になると、都市の春画と地方農村の道祖神との間に興味深い影響関係があらわれる。春画の図様が道祖神に取り入れられ、春信の『口すい』が接吻道祖神といわれるものに転用される。一方、春画の性器誇張が一段と高じるのが18世紀後半になってからである。」

関連する投稿

  • 「美術家の健康と安全」について 今年の7月に日本美術家連盟から「美術家の健康と安全」という冊子が送られてきました。これは造形美術の分野別ハンドブックで、画材や彫刻素材、溶剤や接着剤などが細かく記載されていて、とても便利です。とりわ […]
  • 東京駅の「月映」展 「月映 […]
  • 橫浜の「エッシャー展」 既に終わってしまった展覧会の感想を述べるのは恐縮ですが、旧知の作品が多い有名な版画家の印象を改めて書きたいと思いました。オランダ人版画家M・C・エッシャーの作品を、私がいつ頃知ったか今も鮮烈に覚えて […]
  • 頭はクレーのことばかり… 通勤途中で読んでいる書籍に、頭が左右されるのは今に始まったことではありません。今「クレーの日記」(P・クレー著 南原実訳 […]
  • 「田中恭吉 ひそめるもの」を読み始める 「田中恭吉 ひそめるもの」(和歌山県立近代美術館企画・監修 […]

Comments are closed.