仙厓の生涯と絵画について

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅡ「近世禅僧の絵画」のうち、白隠に次いで仙厓のまとめを行います。私にとって白隠に比べると仙厓は未知の禅僧で、どこかの展覧会で童心をそそる「指月布袋図」を見たことがあるくらいです。仙厓の生涯を紐解くと、白隠と同じように長寿を全うしていて、しかも晩年になるにしたがって、画風は円熟期を迎えています。仙厓は、寛延3年(1750)今日の岐阜県武儀郡武芸川町高野に生まれていて、貧農出身であったことが分かっています。文中には「11歳に当たる宝暦10年、近くの清泰寺の住職空印円虚に望まれて徒弟となり清泰寺で得度したと伝える。」とありました。天明7年、仙厓に大きな転機が訪れ、博多の聖福寺に赴くことになったのでした。「75歳の盤谷(住職の盤谷紹適)は仙厓の人物と学識に引かれて自らの後継者と決め、翌寛政元年(1789)仙厓は40歳で清福寺第123世住職を襲った。以後88歳で亡くなるまでの約半世紀が『博多の仙厓』の時代である。~略~藩の武士や地元の文人、儒者、商人から近所の長屋の酒吞み、児童にいたるあらゆる階層の人たちの求めに応じて気軽に書き与えた彼の軽妙飄逸な書画が、その明るい気質と機知に富んだ言動と相まって『博多の仙厓さん』の名声はうなぎ上りに高まり、殺到する書画の注文が彼を悩ますようになった。」仙厓の絵画を見てみると、白隠に比べて温和な画風で、文中にこんな箇所もありました。「彼は、箱崎浜、袖の湊、大宰府、玄海島など、博多近郊の風景をこよなく愛し、これらの真景図を多く残している。~略~総じて彼の絵画は、同時代の人に文人画と呼ばれている例があるように、白隠画に比べ南画的要素がはるかに強い。」これが仙厓の仙厓たる特徴だろうと思うところですが、玄人まがいの技巧を身につけた書画は、その後一転していきます。彼の代表作「寒山拾得・豊干図屏風」にはこんな文章がありました。「仙厓の全作品の中にあってむしろ異例なほどその描写が稚拙で粗っぽいことに意外な感じを受けるだろう。これまであげたような彼の5、60歳代の諸作品は、彼の筆技がその器用さにも助けられて熟達の度を増し、専門画家の域に達しつつあることすらうかがわせるのだが、この屏風の画風はそうした方向にむしろ逆行する。」これはどういうことでしょうか。「たしかなことは書画とも相まって彼が目指す境地ー技巧の衣装をすて彼の人格が直接滲み出るような『無法の法』に近づいていったということである。」成程、そういう境地に達したことだったのか、これを知って私は改めて仙厓の魅力を感じ取った次第です。

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