禅画について学ぶ

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅡ「近世禅僧の絵画ー白隠・仙厓」の中で、禅画とは何かを取り上げた箇所についてまとめを行います。「禅という、彼ら(欧米人)にとってはなはだ異質で難解な、それゆえ興味をそそる思想の図解として、禅僧の遺墨が期待されているむきがある。」という文章に示されているように、日本に興味関心が高い欧米人は、禅を知ろうとしてさまざまなアプローチをしている人がいます。私自身も禅のことをよく分かっていないのに、20代の頃ヨーロッパで暮らしていた時に、禅のことを彼らに問われて苦慮したことが思い出されます。私は禅について無知なことばかりで焦りを感じたと言った方がよいかもしれません。最近になって禅画の代表とされる白隠や仙厓のことを知り、禅画について、またそれが生まれる契機となった禅体験についても多少学ぶ機会を持ちました。「白隠の書画は、彼の禅体験と個性の結びつきから生まれた。他に類のないものであるし、仙厓の戯画もまた、南画や俳画と重なる要素を持つとはいえ、それらと一線を画すその独特な性格は、疑いなく彼の禅体験をくぐって生まれたと見られるからである。」ここで禅画の母胎となった道釈人物画についての説明がありました。「道釈人物画とは、仏教絵画に道教的な主題を合わせた呼称で、釈迦や観音、普賢、文珠、不動、羅漢、維摩といった仏像、達磨にはじまる禅宗祖師像、老子、蝦蟇鉄拐など、そして『禅機図』がこれに含まれる。」これはいわば絵のモチィーフです。さらに先を読んでいくと、私でも知っている禅僧が登場してきました。まずは雪舟の「慧可断臂図」で「禅と絵画との接点を彼なりに真摯に追求した気魄のこもる作品である。」とありました。次に一休で「一休の書は知られるようにきわめて個性的であるが、その画もまた稚拙なままに奔放な彼の個性をよく反映している。」そして沢庵。「春屋門下の傑僧沢庵宗彭もまた味わいある禅機図や山水画を手がけていた。」さらに先日NOTE(ブログ)で紹介した風外慧薫。「関東にあって文字どおり野の乞食僧としての生活に終始した曹洞宗の風外慧薫の画が注目される。~略~彼の画風もまた中世禅道の余技画の継承の、最後の余映として位置づけられるのだが、そこにはまた、同時代の上方の禅僧画の持たない素朴な野性や純真なユーモアが含まれていることも見逃してはなるまい。」禅画に関しては白隠や仙厓にまだ触れておらず、さらに知識をつけていきたいと思っています。

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