銅鐸について

先日、東京上野にある東京国立博物館平成館で開催中の「出雲と大和」展に行ってきました。前にNOTE(ブログ)に書いた記事では、出雲と大和の相違を図録を利用して述べただけで、展示品については触れていなかったので、今回は銅鐸について述べていきます。さまざまな展示品の中で、私は形状から言って銅鐸に一番惹かれます。その鐸身に施された市松文様や重弧文や絵画的な線描にとりわけ興味が湧きます。私は銅鐸を純粋に美術作品として見て、自作に繋がる要素を見取っていると言えます。銅鐸がアートとして美しいと感じるのは私だけではないはずです。銅鐸は、弥生時代に中国大陸から伝来した鐘(鈴)で、鐸には青銅製の楽器という意味があるそうです。鐸身の内側に舌(ぜつ)を垂らして、それを揺らして音を鳴らしていたようで、梵鐘のように外から叩いた形跡はないのが分かっています。しかも時代と共に大型化して、楽器から祭器に変化したと推察されています。つまり聞くモノから見せるモノに変わったということでしょうか。銅鐸は西日本で多く出土しているため、日本の古代文化は西南が盛んだったことが判ります。図録に「近畿地方や北部九州と複雑に絡み合い、独特な青銅器祭祀を展開した出雲。この地域では弥生時代中期末から後期初頭において、他地域に先駆けていち早く銅鐸が埋納され、それ以降完全な形をした銅鐸は姿を消す。これは銅鐸が単なる農耕祭祀のシンボルではないことを示唆している。」(井上洋一著)とありました。まだまだ謎の多い銅鐸ですが、もちろん芸術的価値観など存在しない時代の産物で、古代の人々がどんな場面で使用したものなのか、またまとめて埋納したのは何故か、さまざまな学者の論考があるのも、私にとっては古代に対する魅力のひとつになっています。

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