「野に生きた僧」について

「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)のⅡ「野に生きた僧」についてのまとめを行います。本章で取り上げられている風外慧薫について、私は恥ずかしながら全く無知だったため、本書の図版で初めて作品を知った次第です。風外慧薫の紹介では「地方にはほこりにまみれ垢じみた僧衣をまとう遊行僧の姿があった。かれらは師を求め道を求めて各地を放浪し、時には洞窟に雨露を凌いで修行を続けるかたわら、民衆と親しく交わって人生の教師となり、仏の道を説いて敬愛を集めた。風外慧薫はそうした近世における『野の聖』の草分けの一人に当たる異色の存在である。」とありました。活動した年代からすると風外慧薫は室町時代の人だったと思われますが、そうした遊行僧の姿は脈々と近代まで続いていたのではないかと思われます。私の実家にも流れ着いた僧が書き残した書があって、素人の目にも見事なものではないかと思うからです。明治だったか大正だったか、農家を営んでいた若い頃の祖母の元に乞食のような僧がやってきたそうで、粟や稗ではなく貴重な米の食事を与えたところ、部屋を所望されて暫し閉じ籠り、書を数点書き上げたそうです。そのうち1点が自宅にあり、もう1点は実家にあります。他は行方不明になっていますが、公式な鑑定はせずに私のお気に入りとして自宅に飾ってあるのです。風外慧薫に話を戻します。「風外慧薫は戦国時代の終わり頃に当たる永禄11年(1568)、上野国(群馬県)の山中、碓氷峠の近くに生まれた。幼くして母を失い、その乳房を恋い慕って吸うのを人が見て、仏縁が深いと、近くの曹洞宗の長源寺という寺に預けられ、成人後はこの上野・下野一帯の曹洞宗の寺を転々と放浪して修行を積んだ。」というのが現在分かっている出生です。「風外はその生涯に数多くの書画を残した。真鶴の滝門寺に伝わる『大字十二行書十二幅』のような大作もあるが、托鉢の折の布施の返礼として書かれたものが大多数である。~略~白隠、仙厓のいわゆる禅画と、室町水墨画の禅機図とをつなぐものとして、風外慧薫の作品を位置づけることができる。」また布袋図を評してこんな文章がありました。「いかめしい達磨にくらべ、袋をかついでちょこまかと画中を歩き、あるいは、天空の月に指さしまじめくさった顔で悟りの境地を示す布袋の姿には、愛嬌とともに哀愁がこもっている。」とあり、風外慧薫はどんな人だったのか興味が湧くところです。「風外慧薫は、忘れられた存在である。深い宗教体験と学識を持ちながら、白隠のようにそれを多く語らず、名利をかたくなに断って野の乞食として生涯を終えた。」

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