東京上野の「出雲と大和」展

先日、東京上野にある東京国立博物館平成館で開催中の「出雲と大和」展に行ってきました。本展は日本書紀成立1300年という節目で、日本の古代を出雲大社に鎮座する神である「幽」と、ヤマト政権において天皇を頂く「顕」を対比して展示された、かなり大掛かりな展覧会で、島根県と奈良県、どちらも私は足を運んだことがあり、旧知の展示品ながら、こうして並列して眺めてみると新鮮な感覚が芽生えたのが不思議でした。何しろ展示品から日本の古代文化を探ることは、自分のルーツを確かめられるような気がして、こんなに楽しい企画はないと思ったほどでした。日本書紀や古事記とは何か、図録の最初の文章を執筆した佐藤信氏の文章より拾ってみます。「『日本書紀』は、律令国家が自らの歴史的なアイデンティティーを主張した史書であった。」とありました。続いて「和銅5年(712)に、大和に本拠をもつ豪族出身の太安万侶が撰録した史書が『古事記』である。~略~『日本書紀』は、養老4年に舎人親王を編纂代表として撰進された国史である。」とありました。古代の出雲についてもこんなふうに書かれていました。「古代出雲は、多くの古代文献や遺跡に恵まれている。『古事記』『日本書紀』が出雲神話を多く取り込んでいるほか、和銅6年(713)に編纂を命ずる詔が出された風土記として今日に伝わる五風土記のなかで、ほぼ完存する風土記として貴重な『出雲国風土記』があることは、大きな特徴となっている。『出雲国風土記』には、風土、物産、古老の伝承や地名起源説話など、地域の社会像も豊かに描かれており、地域の古代史像を具体的に物語ってくれる史料として注目される。」ここで「国譲り神話」に関する興味深い文章を見つけました。「『古事記』『日本書紀』にみられる出雲の立場は、『国譲り神話』に象徴的に示される。出雲の大国主神は、皇祖神の天つ神に葦原中国の支配権を譲るかわりに、自らを出雲の高い神殿に祭ってもらうことになった。」これは出雲大社に存在したと言われる特異な高さを誇る神殿のことを言っているのではないかと思います。本展にその遺構である心御柱と宇豆柱が来ていて、そこから割り出された高さ48メートルにも及ぶ神殿の模型もありました。私は2年前の夏に島根県立古代出雲歴史博物館でこの模型を見ていて、度肝を抜かれたのを思い出しました。この「出雲と大和」展は興味関心が尽きません。このNOTE(ブログ)ではまだ展示品に触れていませんので、稿を改めようと思います。

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