「あそぶ神仏」を読み始める

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)を鞄に携帯して通勤途中に読んでいる最中ですが、私は昔から複数の書籍をあちらこちらと読み散らかしてしまう読書癖があります。興味の対象が目移りしてしまい、結果として書棚に書籍をため込んでいく傾向があるのです。今も自宅の書棚に未読の書籍がいっぱいあります。昨今では、デジタル書籍やネット映像が主流を占めて、そもそも読書から離れていく世代が目立っていると思われます。それでも私は若い頃から紙媒体による書籍が大好きで、頁を括っていく手触りに安らぎを感じてしまうのです。書籍の装丁も好きな要素の一つですが、書籍は知識や表現された世界を鞄に携帯できることが素晴らしいと思っています。私がつい購入してしまう書籍は、専門書から軽妙洒脱なエッセイまでさまざまです。専門分野では芸術はもとより哲学系のものが多いなぁと感じます。よく読んでいるのは、ちょっぴり専門知識の入った評論やエッセイで、それにより自分の興味関心の在処が分かります。私には私なりの傾向があって、また年代によって興味の対象が変わってきています。今日から読み始めた「あそぶ神仏」(辻惟雄著 ちくま学芸文庫)は、江戸時代の宗教美術に視点をおいた書籍で、著者の辻惟雄氏は「奇想の系譜」で知られた我が国屈指の美術史家です。当然私も「奇想の系譜」を読んで、日本美術に対する面白さを開眼させていただいた一人です。若い頃は見向きもしなかった日本美術でしたが、この年齢になって足元に展開する摩訶不思議な美術が、私は大好きになったのでした。「あそぶ神仏」の冒頭に日本独特のアニミズムについての論考がありました。「アニミズムとは、動物、植物、あるいは石や水のような無機物にも、人間にあるのと同じ霊が存在するという思想である。~略~日本人のものの考え方、感じ方、あらわし方のなかに、アニミスティックな特徴が、さまざまなかたちで根強く続いていること、それが日本美術の表現をいきいきと活気づかせる上で無視できない役割を果たしていることを、私の専攻する日本美術史の視点から検証しようとするものである。」この文章によって本書「あそぶ神仏」の面白みが伝わります。読書中の「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」と論考がクロスする箇所があろうかと思います。そうであるならば多角的な論考を併せて考察でき、私の薄っぺらな知識に多少なりとも奥行きを与えてもらえるのではないかと思っております。

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