「三保の羽車」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第2章の2「三保の羽車」についてのまとめを行います。静岡県にある三保の松原を有する海岸線は昔からの景勝地で、2013年に富士山世界文化遺産に登録されています。私は幼い頃に両親に連れられて、三保の松原を見に行った記憶があります。羽衣伝説で天女が羽衣を脱ぎ掛けた松は、柵に囲まれていて羽車磯田祠が立っていました。子どもの頃抱いていた漠然としたロマンが、本書によって伝説から伝承に至る文章で説明されていて興味が湧きました。「出雲の神は縁結びの神である。両性具有の蛇神は男と女、あの世とこの世を結ぶ神である。そして古来の呪術的信仰を、いち早く密教的観音信仰に結びつけた神であった。それは補陀落即ち印度の南の海に浮かぶ聖山の信仰を通してである。熊野からその地をさして船出する補陀落渡海は余りにも有名だが、五来重は、『修験道入門』(角川書店)で日本人のもつこの海上他界の観念にふれて、古来死霊や祖霊の集まる山上を霊場としてそこに修験道が発生したが、それに対して海の彼方にも祖霊が集まる世界(常世)があって、そこから人間界の救済に訪れる精霊を祀る海の修験道があったと書いている。その神霊や祖霊が海上を照らしながら寄りくる御崎の一つが美保の浦である。~略~いまこの美保の関を清水の三保に移して考えるならば、三保の浜辺でこの竜燈を焚くのは大山修験に代わる秋葉修験たちである。」こうしたことに興味が湧くのは、これが私たち日本人の土着から発生したものだからでしょうか。「近年三保の海辺で薪能が催されて、その地に因む『羽衣』が演じられる由だが、日本の芸能の多くは、伝統的に『松ばやし』の芸能であった。松に宿る精霊を松の木と共に迎え、その蘇生をはやし立てることが芸能の本義であった。今日の薪能は光の演出に重点をおいている。しかし本来薪は焼木で、松明は焼木の明かりであって、薪能は焼火の能である。松に宿る精霊の明かり(=出現)の芸能であろう。」最後にこんな一文がありました。「松ばやしの中に生まれた芸能にうたわれる『羽衣』は御崎の小島の松原に休らう弁財天にまつわる物語であったが、時と所に従って物語の筋も内容も変容を重ねていくように、神も仏も精霊もまたさまざまに変容をとげて、漁夫と契りを結ぶ比丘陀はいつしか竜宮に住む乙姫となり、またほのかな紅を白い裸体ににじませ、音曲の女神として江の島に祀られる。」ここから浦島太郎伝説を読み取ることが出来ました。

関連する投稿

  • 「中空の彫刻」読後感 「中空の彫刻」(廣田治子著 […]
  • 「《逸楽の家》」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「3 […]
  • 「結語」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「結語」の「1 木彫と陶器」「2 親密な環境における彫刻」「3 […]
  • 「状況-思考の神秘的内部を表すこと」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「1 […]
  • 「文化的総合」について 「中空の彫刻」(廣田治子著 三元社)の「第二部 ゴーギャンの立体作品」の中の「第6章 タヒチからマルケーサスへ(1895~1903年)」の「2 […]

Comments are closed.