「『花の時』を巡る」について

「呪術としてのデザインー芸術民俗学の旅」(中嶋斉著 彩流社)の第2章の1「『花の時』を巡る」についてのまとめを行います。第2章から舞台は日本に移ります。しかも古代から受け継がれる祭りをテーマにしています。副題には「熊野に見るホトの祭り」とあって神話も含めた太古の遺物が登場してきます。初めの文章に「元来、椿は山茶花をさしていたらしい。それは春の始まりをことふれて歩く比丘尼の採物であった。大和や豊後に残る海石榴市の名は、彼女らが椿の枝をたずさえて魂ふりをしたことに由来すると折口信夫は推論する。」とありました。題名にある花の時と由縁のある霊場を訪ねるうち、こんな文章が目に留まりました。「『《日本書紀》にイザナミノミコトが火神を産んだとき、産道が焼けて死んだとある。また一書に、火神を産むとき、熱のためになやんで吐いたが、その吐いたものが金山彦となったとある。こうしてみると、このイザナミの出産の様子は、たたら炉から溶けた金属をとりだすときの光景と似ている。たたら炉の炎の色を見る穴をホド穴という。また鍛冶屋でも炭をくべてカネを焼くところをホド(火処)という。火神を産むときにイザナミがホト(女陰)を焼いて死んだと《古事記》の伝えるのは、これらと関連があるにちがいない』と谷川健一は『青銅の神の足跡』(集英社)で書いている。ホトは陰所であり、火処である。そこはクナドでカマドである。関西では火の神を荒神としいて祀り、そこをおクドさんと呼ぶ。家事では食物を煮たきする所であり、鍛冶では刀剣をきたえつくり出す所である。熊野は中央政権からはなれた陰所であり、難所で距てられた来名戸であったが、そこには山の陰所に住んで砂どりし、また、たたらを踏む鍛冶師の集団があったのだろう。スサノオがオロチを退治したが、オロチは鍛冶師の隠語であるというから、それを退治するのはその集団を支配することであった。」比丘尼に関した文章にも注目しました。「熊野比丘尼はミサキの神をいただいて歩く熊野信仰の尖兵であった。~略~彼女らは小さな神の祠を拝しながら、王子の死に自分たちの飢えに死なせた子供らのことを思い浮かべたり、死後の地獄の世界を思い合わせたであろうし、巨巌を仰いでは世の子らを慈しむ慈母観音を想像していたかも知れない。そして今日の不運や不安が明日の幸せにとって代わられることを祈り歌いながら、またそれを土地の人びとに説いて聞かせたにちがいない。その時花の窟は仏の姿となり、また旅立つ物の無事を祈る道祖の神となり、あるいは山に住むものにとっては来名戸の神として火処の守神となって、世を継いで祀られてきたのであろう。」

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