「芸術と宇宙」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の最終章「芸術と宇宙」のまとめを行います。本書は、カンディンスキーの著書「芸術における精神的なもの」を著者の視点で読み取り、そこに深い学殖に裏づけられた論考があって、全章を通して平易とは言い切れないものがありました。「十八世紀以降、宗教的感情が消滅したあと、具象絵画が提供したものといったら、脆弱ないわば二流の作品ぐらいしかないこと、絵画の領域における創造的な力の一般的な退潮は、生の衰弱の、生が有していたおのれの不屈性への確信が失われたことの正確かつ直接的な帰結であること、おそらくこうしたことこそが、ここ三世紀の美的動向を決定しているのであり、それゆえに内部の力を失ったその動向は、諸物を頼みとして、もはや信頼の中に、生それ自体への信頼の中に見出せない支えを諸物のもとで探し求めることになったのである。」これがこの論考を始める契機となったものだろうと思います。そこにカンディンスキーのこんな発想を引用しています。日常環境に属する平凡な諸物にしても、内部の音響をもっていると。さらに「芸術家によって使用されるフォルムは、現実的なフォルムであるとか抽象的なものであるとか、といった問題は、全然意味のないことである。その理由は、いずれのフォルムも内面的には等しいからである。」論考を抽象に導く中で、こんな疑問も提示しています。「絵画における抽象の理論は、客観的具象化にさからって、したがって自然にさからって定義されたのではないだろうか?」それに対する解答は次の通りです。「客観的世界を構成する意味の観念的基準から、色と線的なフォルムをひき離すことによって、指示的でない絵画性の中でこれらをとらえることによって、カンディンスキーの抽象は自然を遠ざけるどころか、自然の内的な本質を回復させているのだ。この本来の主観的で動的で印象的で情念的な自然、〈生〉という本質をもつこの本当の自然、それは宇宙である。」カンディンスキーが携わった冊子「青騎士」の中では、彼のこんな主張も見られます。「世界は響きを発する。世界は精神的に作用する諸存在の宇宙。かくして、生命なき物質も実は生命ある精神にほかならぬ。」

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