「絵画はすべて抽象的である」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)の「絵画はすべて抽象的である」という章のまとめを行います。本書は、カンディンスキーの著書「芸術における精神的なもの」を基盤にフランスの現象学者が著したもので、芸術の中の絵画についての考察が大変面白いと思っていますが、なかなか難しい箇所も多く、論考にも哲学的な側面が見受けられます。カンディンスキー自身も抽象絵画の裏づけとなる哲学を構築し、フォルムや色彩を論じてきました。現代は芸術行為そのものを哲学として扱う場面も多く見受けられ、その発端がカンディンスキーだったのではないかと私は思っています。表題にある一文は本書全体の中核を成すもので、これを主張するために論考を積み重ねてきたように感じています。「芸術の最初のテーマ、その真の関心とは、生である。元来、あらゆる芸術は神聖であって、それがもっぱら気にかけているのは超自然的なものなのである。それはまさしく、芸術が気にかけているのは生であるー目に見えるものではなく目に見えないものであるーことを意味する。なぜ生は神聖なのか。なぜなら、われわれが設定したわけでも望んだわけでもないものとして、われわれがその出どころではないのにわれわれをつきぬけて行くものとして、内部に生を体験するからである。生によって支えられているからこそ、われわれは存在し、どんなことでもやろうとするのだ。生自体に対する、われわれの内部にある生の受動性とは、われわれの情念的な主観性ー不変の芸術の、絵画の目に見えない抽象的な内容ーなのである。」そのあとに具体的なキリスト教の宗教画を取り上げて、誰も見たことのない宗教的場面や行為を具現化する際に、主観的組み合わせから生まれる情念への合致という言い回しを使って、絵画にある抽象性を導き出しています。最後に抽象絵画の原則に従った鑑賞について触れている箇所がありました。「見るとは、抽象の原則によれば、眺められている色の情念を感受することを、その情念が実在となっていること、〈生〉となっていることを意味する。」

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