「モディリアーニ」第3章のまとめ

「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)の第3章「パリでの苛立ち」のまとめを行います。冒頭の文章に「アメデオはパリに着いたとき、21歳とはいえ、まだ経済的にも精神的にも母に頼っている少年であった。」とありました。ここから親の保護下で裕福に過ごした時代と別離し、次第に荒廃した生活になっていくモディリアーニの状況を、パリの芸術運動と絡ませて述べている箇所を引用いたします。「彼がパリに着いた1906年初頭は、芸術は空前の興奮状態にあった。世界中からやってきた若い画家たち、ピカソ、マチス、ブラックといった俊英がこの街に集まり、印象派や後期印象派のめざましい成果に引かれ、あるいは反発した。~略~ピカソとその追随者に先導された前衛芸術は、モディリアーニが絶賛していたアール・ヌーヴォーや後期印象派を嘲笑した。」次にモディリアーニの生活について述べている箇所を拾っていきます。「モディリアーニは高級ホテルに長く滞在する余裕はなかった。ピカソの助言がなくとも、どのみち彼はつい最近までロートレックが通いつめていたモンマントルの歓楽街にたどり着き、その周辺のサーカス小屋をのぞいたであろう。~略~浮浪者、乞食、数人の芸術家はマキ地区に掘っ建て小屋やバラックを建てており、つい最近まで街を闊歩する上品な男であったモディリアーニは、ここで波打つトタン板を葺いた無人の木造小屋を見つけ、掃除し、修繕して、パリにおける彼の最初の住居として整備した。~略~一般の人の理解する日常生活や日課というものは、モディリアーニにとってはほとんど不可解であった。彼にはまったく仕事をしない日というものがあり、そんな日にはカフェからカフェへと流れ歩くか、友人たちを訪ねるのであった。~略~彼はしばらくの間『バトー・ラヴォワール(洗濯船)』に住んだ。これはラヴィニャン広場にある木造アパートで、風が吹くとセーヌ川の洗濯婦の船のようにきしむところからこの名で呼ばれた。ゴーギャンの時代以来、芸術家たちは小部屋が集まったアトリエを借りるようになった。建物は老朽化しており、暖房も水も電気もないので、彼らはランプや蝋燭の光で仕事をしなければならなかった。訪問客の大半は広い部屋に住んでいるピカソに会いにきた。」モディリアーニの生活ぶりが伺える箇所ですが、こんな底辺の生活の中から彼の表現の方向性が示されてきます。そこは別稿でまとめたいと思います。

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