応挙の絶筆「保津川図」について
2019年 9月 12日 木曜日
東京芸術大学美術館で開催されている「円山応挙から近代京都画壇へ」展は、応挙の写実性に富んだ画風から展開した軽妙洒脱な呉春や、近代京都画壇を彩った様々な画家の代表作品が展示されていて、ひとつひとつに深みのある世界があって大変見応えのある内容になっていました。私にとって馴染みがあるのは長澤芦雪、川合玉堂、竹内栖鳳、上村松園くらいでしたが、まだまだ力のある画家が他にも控えていて、思わず足を止めてじっくり見入ってしまいました。全作品を回覧して印象的だったのはやはり円山応挙で、絶筆作品として知られる大作「保津川図」でした。ただし、応挙の故郷である亀岡から流れる川が保津川であるため、この作品は保津川を描いたものだろうと推定されるだけで確証はないようです。その対象がどうであれ、私は切り立った岩の間を飛沫を立てながら流れる川の動きに快さを感じていました。岩と水のコントラストを形成する墨色が美しく、岩肌に翻弄されながら渦を巻く川の流れに、隅々までコントロールされたリズムを感じ取っていました。迸る水に目がいきがちですが、ふと見ると鮎の姿が何気なく描かれていて、実は細かい部分まで計算されて丁寧に処理されているのが分かりました。何というデッサン力だろうと惚れ惚れしていましたが、解説によると「保津川図」は応挙が亡くなる1ヶ月前に描いたとのこと、それが本当だとすればこの力強さはどこからくるものか、私には到底理解できるものではありません。絶筆作品は芸術家として生涯を全うした人には必ず存在するもので、その人らしさを物語っていると私は常々感じています。彼方へ消えてしまいそうな作品もあれば、「保津川図」のような力の篭った大作もあります。その人の置かれた健康状態や精神状況にもよるものかもしれませんが、展覧会に絶筆作品が展示されていると、思わず足を止めて見てしまうのは私だけではないでしょう。「お疲れさまでした。」と私は作品を見て呟いてしまいますが、私自身はまだ絶筆作品のイメージが持てません。創作活動をやっていると10年、20年はあっという間に過ぎ去って、私もいつかこれが最後かもしれないと思える彫刻を作るのでしょうか。制作中にその意識があるものなのでしょうか。現在の私には見当がつきません。ただ眼の前にある「保津川図」が絶筆作品ならば、円山応挙という画家はとんでもない力量を持っていたと改めて認識するしかないと思いました。