「モディリアーニ」第1章のまとめ

先月の終わりから「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)を読み始めています。第1章は「家族の絆」というタイトルがつけられていて、モディリアーニの生誕から美術への道に進むようになった契機や青年時代の印象が書かれていました。文中からモディリアーニの成育環境を調べていきます。「彼の両親は二人とも、古い家系のスペイン系ユダヤ人であった。彼がパリで会うことになるマルク・シャガールやシャイム・スーティンはともにユダヤ人で東欧の窮迫化した寒村の出身だが、彼らと違ってモディリアーニはゲットーの生活と無縁であった。彼が生まれたのは特権的な家であり、彼はイタリアでは反ユダヤ主義に接したことはなかった。」さらに両親の結婚について触れた部分を書き出します。「1872年1月エウジェニア・ガルシンとフラミーニオ・モディリアーニはリヴォルノの中心にある壮麗なバロック様式の教会で結婚し、エウジェニアは後にすべての子供たちが生まれることになるローマ通りにある広いヴィラ(別荘)の一部に移り住んだ。~略~アメデオ・クレメンテ・モディリアーニは1884年7月12日に生まれた。アメデオという名前は『神に愛された者』という意味だが、この赤子は最悪の時期にかろうじて生まれてきたのであった。~略~エウジェニアは金策に奔走していた。それというのも、いつしかモディリアーニ家の商売は経営が傾き、1884年には国中が不況となり、モディリアーニ家は破産した。」モディリアーニは学齢期を迎え、病弱な体質ゆえに母エウジェニアの手を煩わすことが頻繁にありました。「彼はほとんどこの世離れした美しい容貌とぱりっと整えられた優美な衣裳によってほかの生徒から抜きん出ていた。~略~1895年、11歳になった夏に彼は肋膜炎を悪化させた。~略~その間にアメデオは読書と夢想に耽り、それはエウジェニアを戸惑わせ、興味を引くほどになった。『この子の人格はまだ固まっていないので、私はなんと考えればよいのかわからない。甘えん坊のように振る舞っているが、知性を欠いてはいない。この蛹の中に何が潜んでいるのか、待っていて見ることにしよう。ことによると芸術家だろうか』」母エウジェニアの予言が次第に現実味を帯びてきます。「14歳になったばかりのアメデオは絵の勉強を喜んだが、この家族は不運につきまとわれていた。美術学校が始まるとすぐ彼は重い腸チフスにかかった。これは当時は不治の病とされていた。数週間で重態となり、1か月すると意識朦朧となった。伝説によると、このときアメデオは画家になりたいという熱意を表明したということである。」母エウジェニアの献身的な看病によって一命を取り留めたアメデオは、美術への道を歩んでいくことになるのです。第2章ではイタリア各地を旅して、モディリアーニはいよいよ画家としてスタートしていくことになります。

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