モローを取り囲む2人の女性

フランスの象徴派画家ギュスターヴ・モローは、19世紀末に72歳で没しましたが、70歳前後にパリにある自宅を個人美術館にする準備を始めていました。モローは65歳で国立美術学校の教授職に就いたようですが、私の先入観ではモローは室内に一人佇んで絵画制作に没頭した孤高の画家としてイメージしていました。生い立ちを追ううちに、モローはイタリアに旅行したり、また2人の女性が重要なポジションにいたことが分かりました。一人は母親で、モローは献身的な愛情を注がれていたようです。もう一人は内縁の妻とでも言っていいのでしょうか、モローに27年間寄り添った女性がいたようです。デッサンを教えたことでその女性と知り合い、彼女はやがてモローの最大の理解者になったようです。図録から2人の女性たちのことを綴った箇所を引用いたします。「モローは母へ親愛の表現をしきりに繰り返し、異国にいる自分にとって母との文通が言いようのない幸福の源であると、また、愛され過ぎて、芸術への情熱にとらわれた自分が十分応えられず苦しいと述べている。~略~返信で母は排他的なまでのわが子への愛情を再度強調した。また、息子について『彼の健康、幸せ、満足以外に何の興味もありません』とも書いた。このやりとりは、娘の死による女親の悲しみを慰める重責を負った一子と、母の激情的な愛の苦しみを浮き彫りにしている。」モローの妹はモロー1歳の時に亡くなっているので、まさに母の愛情はモローだけに注がれ、母から精神的にも経済的にも援助を受けていたようです。親子はモローが幼い頃から思春期に至るまで母子一体となっていて、モロー自身は母親の元を決して離れようとしなかったと図録にありました。12歳で入学した寄宿制中学校では同年代の子たちとの交流に苦しんだとも書いてありました。とは言えモローはさまざまな恋愛もして、ついに33歳で生涯を共にする女性アレクサンドリーヌ・デュルーと知り合ったのでした。モローは彼女の可愛いカリカチュア(漫画)を描いているので、彼女のことを相当愛しく想っていたことは間違いないでしょう。「母没後2年の1886年1月10日、自分が重病または瀕死に陥った場合の指示として、モローはアレクサンドリーヌ宛てに二つのメモをしたためた。27年間連れ添った伴侶である彼女の看病以外受けないこと、また、母の死後、苦悩の日々に彼女が限りない献身を尽くしたことを述べている。」(引用は全てマリー=セシル・フォレスト著)彼女に看取られるはずが、モロー64歳の時にアレクサンドリーヌは54歳で亡くなってしまいました。母親と伴侶、この2人に先立たれたにも関わらず、献身的に支えられてもいた画家の人生。私は幸福な人生だったのではないかと思っていますが、どうでしょうか。

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