「音楽と絵画」について

「見えないものを見る カンディンスキー論」(ミシェル・アンリ著 青木研二訳 法政大学出版局)は、カンディンスキーの著書「芸術における精神的なもの」を根拠に、フランスの現象学者が書き表したものです。今回は「音楽と絵画」についてのまとめを試みます。冒頭の文章に「〈壮大な芸術〉という発想は、音楽および音楽と絵画との関係をめぐる考察から生じている。」とありました。特殊な個々の芸術のどこに統一性を見出していくのか、次の一文を引用いたします。「眺めること、聴くこと、触れること、感じることーそれらの体験の多様性が識別されているにもかかわらずーを、〈同じもの〉たらしめているのは何なのか。それは諸感覚の主観性である。」主観性に辿り着くまでにカンディンスキーの造形思考に何があったのか、こんな一文もありました。「抽象の概念の形成において決定的な役割を演じたのは音楽である。重大な『精神的転機』のときに、知の全領域において、とりわけ絵画の領域において、客観性の危機にカンディンスキーが揺さぶられて、新しい『内容』(芸術はこれを表現することを使命としている)について自問したとき、まさしく音楽が、彼の精神に模倣すべきモデルとして現れて来たのであり、入りこんでいる袋小路から絵画がぬけ出ることをー要するにその真の目的性を確認することをー可能にしてくれる道案内として現われて来たのである。」さらにここでショーペンハウワーの哲学が登場します。私は著作「意志と表象としての世界」を既読していたので、言わんとする内容は理解できました。「ショーペンハウワーは、この世界は、二次的な表象、見せかけの模写でしかなく、対象化し得ない隠された内的な実在である〈存在〉という真の実在の対象化でしかないと主張していた。-彼が〈意志〉と呼ぶものはこれであり、生を指し示す名称にほかならない。」主観性や内的なものに関する哲学的視点を示したところで、次の一文を本章のまとめにしたいと思います。「絵と音楽は、情念的な主観性とこの世界に関心をもたないその内的な移り変わりとに両者とも準拠することによって、〈同一のもの〉となっているのである。抽象絵画の発展のすべては音楽の発展をモデルとしており、フォルムと色が諸物への自己の帰属を、外面的な自己の現われをうち捨てて、どのようにして生の情念の中に再び組み入れられているかを、われわれにはっきり見せてくれたのだった。」

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