京都の「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展

先日、関西出張の折に京都国立博物館で開催されている「国宝 一遍聖絵と時宗の名宝」展を見てきました。まず時宗(じしゅう)とは何か、鎌倉時代に全国を遊行し念仏札を配り続けた一遍上人が開祖となる仏教の宗派です。一遍は浄土門系の念仏僧で、本展に出品されている「一遍聖絵」の中心的な僧として、私の頭の片隅にもありました。図録に「一遍聖絵」の記載がありましたので引用いたします。「宗祖一遍の生涯を、阿弥陀仏の光明(智慧や慈愛)を讃えた十二の名である十二光仏と、『仏説無量寿経』『正宗分』に説かれる弥陀の四十八願(十却の昔、法蔵菩薩は優れた仏国土を作り上げる為に立てた四十八種の願いを成就させ、阿弥陀仏となり『西方極楽浄土』を作り上げたこと)にちなみ、全十二巻四十八段で構成される。」(遠山元浩著)とあり、十二巻ある絵巻物にも謂れがあることを知りました。ともかく「一遍聖絵」は圧巻でした。絵師は色鮮やかな大和絵様式を基に水墨画の技法を取り入れていますが、作者とされている法眼円伊は今も謎に包まれた絵師だそうです。開祖にはどんな機会が訪れて、宗教に覚醒するのか、私が興味を感じるのはそんな場面です。図録にあった一遍の不思議な体験を拾ってみます。「目を閉じてうとうとしている所に御殿の御戸が押し開いて、白髪なる山臥の長頭巾をかけた権現が現れ、一遍の前に歩みよって言う。『融通念仏すすむる聖、いかに念仏をばあしくすすめらるるぞ。御房のすすめによりて一切衆はじめて往生すべきにあらず、阿弥陀仏の十却正覚に一切衆生の往生は南無阿弥陀仏と決定するところ也。信不信をえらばず、浄不浄をきらはずその札をくばるべし』と。後に目を開いて見ると、十二三ばかりなる童子百人ほどがやって来て、手をささげて『その念仏をうけむ』と言って札を受け取り南無阿弥陀仏と唱えていづ方ともなく去った。」(有賀祥隆著)本展の出品作は、美術的な見方も出来ますが、時宗のことを齧ってみると、かなり面白くなることが分かりました。因みに私の菩提寺も浄土宗で、法事には南無阿弥陀仏を唱えているため身近に感じた展覧会でした。

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