密教と曼荼羅について

先日訪れた東京国立博物館で開催中の「国宝 東寺」展。圧巻だった立体曼荼羅として配置された仏像の数々。どうして釈迦の教えを広い空間を駆使して図示化したのか、その曼荼羅とは何か、仏像と仏像の間を歩きながら、それら配置の妙を自分なりに考えていました。体感する鑑賞もあれば、知識として会得する鑑賞理解もあると私は思っています。体感する鑑賞は、まずその場に行ってみなければ分からないもので、そこで感じる空気感や視界に入ってくる物質を味わうものだと思っています。触れられるものなら触ってみる、匂いを嗅ぐ、食感も含めてその場で得られる鑑賞体験は豊かな心を育みます。知識を求めるのは鑑賞体験を脳裏に刻みたい願望があるためで、体感と思索があって漸く鑑賞が成り立つと私は考えます。そこで、感銘を受けた立体曼荼羅を脳裏に刻むために、その根源となる密教を知りたいと思いました。図録から引用いたします。「空海は日本に初めて密教を紹介したが、密教とそれまでの仏教の違いについて、病人に薬の効能や分類を説くのがこれまでの仏教で、薬を処方して病気を治すのが密教であり、経典の意味を説くばかりであるのがこれまでの仏教で、経典に従って修法を行ない効験を得るのが密教であると述べている(「遍照発揮性霊集」「宮中真言院の正月の御修法の奉状」)。~略~密教とは、秘密の教えのことである。空海は、秘密には二つあって、一つは無知であるために自ら覆い隠してしまうもの、一つは奥が深くて至ることができないので、あえて説かないものと述べている(弁顕蜜二教論)。~略~密教は奥深く、文章で表わすことは困難である。かわりに図画をかりて悟らない者に開き示す。種々の仏の姿や印契は、仏の慈悲から出たもので、一目見ただけで成仏できるが、経典や注釈書では密かに略されていて、それが図像では示されている。密教の要はここにあり、伝法も受法もこれを捨ててはありえない(「御請来目録」)と述べている。」(丸山士郎著)密教は奥が深いので、図示化することで分かり易くしていると空海は言っているようです。その図示化したものが曼荼羅で、つまり仏の世界を上から見下ろした見取り図とも言えるのです。空海によれば曼荼羅は4種あると説いています。一つ目は「大曼荼羅」で、仏の姿を具体的に描いたもの。二つ目は「三昩耶曼荼羅」で、仏の姿をシンボルとして描いたもの。三つ目は「法曼荼羅」で、仏の姿を一つの文字で表わしたもの。四つ目は「羯磨曼荼羅」で、仏の姿を立体的に表わしたものです。これらは本質的には同一のもので、東寺の群立した仏像の空間は「羯磨曼荼羅」になります。密教の奥の深さは如何ばかりなものなのか、文章に著せないとはどういうものなのか、そこが知りたいと思うのですが、謎めいた宗教は謎のままであった方がいいのかなぁと思うこともあります。

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